「奥深き日本」

たい焼き1日450個で“下関一”稼いだ女

「支店長さんが、えらいですね1人でこんなに稼ぐ人はあなただけですね、と言いました」

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2009年7月31日(金)

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 彼女は75歳になるまでこころ美しく暮らしてきたに違いないと思わせた。昔語りを聴けば、ごく普通の旦夕(たんせき)であったことが知れるのに、今も漲る生気と笑顔が瑞々しく、耳を傾ける者に、知らず、喜びを与えている。

 関門海峡上空の太陽が、地球の自転の速度で月に隠れていく過程を、関の氏神といわれる神社から、すっかり段階撮影した日の、午餐のあとの出会いだった。

 村竹喜久子さん、1934(昭和9)年生まれ、独身。結婚後、間もなく夫を亡くし、それからは、後家の一念で一人息子を育てあげ、ことし101歳になる姑と同居、介護を通して、お互いがそれぞれの愛情を求め、確かめ合いながら暮らしを結んでいる。

「たかが、たい焼とお思いでしょうけど…」

50年たいを焼き続けて家を支えた、と話す村竹喜久子さん。初めて訪問した2009年3月撮影(写真:宮嶋康彦、以下同)
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 「まあ、惜しいこと、この商店街の誰一人、空を見上げないんですから、10時50分ころだったでしょう、日射しが急に薄くなって、おや、日食のいちばん大きい時刻だわ、と気づいて外に出ました、雲が通過するときに、はっきり見えましたね、細いほそいお月さんみたいな、銀色の太陽でしたね」

 幼い子が、えもいわれぬ光景を目の当たりにしながら、その興奮のやり場がわからないまま過ごし、はからずも、そこへ訪れた同好の士をつかまえて、感激の余韻を先(せん)に戻そうとまくし立てる…そんな双眸を私に向けた出会いだった。

 私もまた、晴天域を予測して、かつて馬関といわれ、家郷の長崎と深いえにしで結ばれていた土地を撮影地に選んだ、ことの仔細とその成功までの進みゆきを、ひとしきり聞いてもらった。それから、お互いの、46年前の日食の思い出を語り、出された茶をいただきながら、2度目の訪問の本題に入っていった。

 「あなたとは、たい焼が取り持つ縁ですが、前回、3月にうかがったときに聞いた半生を、もう一度、きちんと聞いてメモを取っておきたいと考えました」

 「商いは牛の涎といいますが、日銭が入る商売は止められません、たかが、たい焼とお思いでしょうけど、月に80万円を稼いだこともあります、それから、お正月飾りとお餅を売る3日間で200万円の売り上げがありました、正月明けにお金を銀行へ持って行くと、山口銀行の支店長さんが、えらいですね1人でこんなに稼ぐ人はあなただけですね、と仰ってくださいました、夏は、盆提灯を売ります、ほんの数年前まで、ひと夏に1年分の商売をしていました、5、600万円を1カ月で売ってきたんです、今年はどうしたことでしょう、ぱったり、売れません」

 山口県下関市、駅に近い竹崎長門市場の一画に村竹商店はある。

下関駅付近の風景
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著者プロフィール

宮嶋 康彦
(みやじま やすひこ)

宮嶋 康彦

1951年長崎県佐世保市生まれ。写真家、作家。東京造形大学講師。『紀の漁師 黒潮に鰹を追う』(草思社)、『誰も行かない日本一の風景』(小学館)、『蛍を見に行く』『この桜、見に行かん』(文藝春秋)、『花行脚・66花選』(日本経済新聞社)、『たい焼の魚拓』(JTB)、『脱「風景写真」宣言』(岩波書店)、『写真家の旅―原日本、産土を旅ゆく。』(日経BP社)など著書多数。自身のホームページでは写真と文章を毎日更新。

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