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小さな経済がグルグル回る地方都市に

行政依存型だったのは、民間の力不足のせいだった

  • 吉永 利夫

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2009年8月20日(木)

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 水俣と水俣病を話題にした連載も最終回です。今回は、私のこれからの活動についてお伝えしたいと思います。

 今、考えていることは3つあります。まず活動のエリアを南に拡大し「環不知火海エリア」で事業を考えることです。もう一つは、キャンパスのない「水俣環境大学」をキーワードにした「学びと出会い」の仕組みをつくること。そして3つめが「持続可能な田舎づくり」、「民間主導型自治」を行うことです。

湯の児温泉から八代海を望む (編集部撮影)
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資金不足は個人の借金や私財でやりくりの“落第生”

 この10年間、修学旅行生に水俣と芦北地域に来てもらうための仕組みづくりを進めてきました。初めてのことでもあり、もともと、水俣病被害者を応援するという考えで始めたことでしたので、事業の収益や方向性など、ほとんど考慮することなく突き進んできました。

 いわゆるマネジメントについては今でも落第生です。何とか1年間の資金繰りを頭で考え、不足する時は個人での借金や私財を投じてやりくりしてきただけでした。一昨年から、行政からの委託事業の契約書を担保に、半年程度の貸付を銀行に依頼することで、資金繰りができるようになりました。ただ、長期の資金運用のための貸付はまだ、実現していません。

 「水俣病を売る」「伝えることを商品化する」などと、これまで偉そうなことをお話してきましたが、正直を言えば、この10年間で400万円の借金が増えただけでした。大学生や調査機関などの方が、私の事業についてヒアリングをするためにいらっしゃいます。そんな時、失敗例はいくつでもお伝えすることはできるのですが、お話できるような成功例はありません。

 それでも、10年間の活動で考え方は大きく変わりました。それは、「集客交流」というテーマで、水俣や水俣病の経験を考えるようになったことです。

暮れどきの湯の鶴温泉 (写真:宮嶋康彦、以下同)
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観光業との関係を深める中で変わったこと

 水俣病を学びに来る大学の先生やゼミ生は、基本的に「知りたい。学びたい」という強い思いのある人々です。多少の不満や腹の立つことも、ご容赦いただいていたはずです。我々は、サービス業ではなく、“メッセンジャー業”だったのかもしれません。来る人は拒まず去る人は追わないという、美しい思いのつながりで成り立っていた業態です。

 「集客交流」を考えるようになって深まったのは、観光業との関係でした。それまで観光業とは無縁でしたし、むしろ水俣病の被害者とともに、県庁やチッソに押しかけ、その様子がニュースで報道されることで、宿泊客を追い出していたのかもしれないと思うほどです。チッソの幹部でなくとも、地元の旅館やレストラン、物産館などの関係者にとって、私はイヤな存在だったに違いありません。

 観光業との関係を深める中で感じたのは、想像以上にこの業界が「手作り」だったことです。また、いわゆる着地型の集客に必要な「独自性」が不足しているとも感じさせられました。さらに、宿泊施設先行型の観光業が中心だということも感じました。観光業の現実は、私が「宿泊客を蹴散らしていた頃」に抱いていたイメージとは相当異なるものでした。

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