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「嫌われちゃった…」ある小沢側近の重みと悩み

藤井裕久・民主党最高顧問はどう処遇されるか

  • 児玉 博

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2009年9月3日(木)

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 政権交代がなった永田町。

 新政権誕生の陰で、

「選挙が終わるまで俺は何も話さない」

 と言い続けてきた民主党代表代行の小沢一郎だが、選挙が終わった今も意識的にメディアを避け続けている。

 小沢の明確な意図が今もって見えぬ状況で、小沢の“腹”を探ろうと霞が関の官僚たちが群がっているのが民主党最高顧問であり、経世会分裂以来の側近の1人である藤井裕久である。

経世会の分裂劇から頭角を現す

 東大野球部の正捕手として鳴らした藤井が大蔵省(現財務省)に入省したのは1955(昭和30)年。

 主計畑を歩んできた藤井と政治との関わりは佐藤内閣にまでさかのぼる。

 藤井は、佐藤内閣で最年少官房長官に任命された竹下登の秘書官に抜擢される。そして、佐藤栄作に代わって内閣を組織した田中角栄は、その官房長官に自らの右腕、二階堂進を任命したが、藤井は再び官房長官秘書官となるのであった。

 1977(昭和52)年、藤井は田中派から参議院議員選挙に出馬し、当選する。参議院議員を2期8年務めた後に衆議院議員へ転身する。

 藤井が政治家として頭角を現し始めるのは、自らが属していた経世会の分裂劇からだった。藤井は竹下らとたもとを分かち、小沢らと行動を共にし、新政党発足に参画した。

 1993(平成5)年に発足した細川護煕を首班とした連立政権では、大蔵大臣の抜擢される。その後、藤井の政治的な足跡は常に小沢の脇を離れることがなかった。

「民主党中枢との接点」官僚たちが頼りに

 “脱官僚”を声高に唱え、政権交代を訴え続けてきた民主党執行部。その民主党政権との距離感をつかみかねている霞が関の官僚たちが藤井の元をひっきりなしに訪ね、感触を確かめようと必死のなるのも無理のないことではあった。

 官僚もよく分かっている。“脱官僚”を唱えていても事務方としての官僚がいなければ政治日程を消化することはできない、と。

 その時、民主党政権と官僚との接着剤であり、緩衝材でもある藤井の存在がにわかに注目されたのである。

 それゆえ、選挙前から藤井の処遇を巡って様々な憶測や噂が流れた。

 “藤井官房副長官”説もその1つだ。その出所をたどっていくと、財務省にたどり着く。

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