総選挙が民主党の地滑り的な勝利に終わった。この連載の主役である民主党の「候補者A」こと市村浩一郎も、兵庫6区で3度目の当選を果たした。
小泉旋風から吹き荒れた2005年の前回衆院選で、市村は自民党の新人候補に小選挙区で惜敗した。比例復活で議席こそ守ったが、今回は雪辱を期す闘いでもあった。
総投票数の約55%を獲得
市村は前回から約6万票増の16万票を得票目標に掲げた。民主党への追い風があるとはいえ、かなり強気の数字である。約45万人に及ぶ選挙区有権者の投票率を70パーセントと仮定し、総投票数の過半数を得ようというのだ。「過半数を得てこそ有権者の真の代表」との市村の理想からである。
結局、市村は目標を上回る約17万3000票を獲得した。総投票数に占める割合も55パーセント近い圧勝だった。
「有り難いことです。しかし、これからが本当のスタートです」。総選挙を戦い終えた市村は、言葉少なに言うだけだ。
市村は福岡県出身の45歳。一橋大学社会学部を卒業後、故・松下幸之助が創設した松下政経塾へと進んだ。政治家養成機関として知られる政経塾は、衆参併せて34人の現職国会議員を輩出している。所属政党別では自民党が6人、残り28人はすべて民主党である。その中には、前原誠司や野田佳彦といった民主党の若手リーダーも含まれる。
市村が政経塾を卒塾した1993年、政界では日本新党ブームが起きていた。市村は政経塾の先輩に誘われ、日本新党の政策担当職員となった。以降、新進党の職員を経て、96年にはいったん政治の世界を離れる。
前年起きた阪神・淡路大震災の復興に関わる非営利組織の基金の運営を任され、神戸へと拠点を移したからだ。このことが後、市村が兵庫県の選挙区から国政に立候補するきっかけとなった。
初挑戦では、小池百合子を相手に善戦
非営利組織での活動を終えた99年、当時誕生して間もない民主党の地元関係者が、市村を衆院選の候補者としてスカウトした。民主党の支持率が「消費税並み」と揶揄された時代のことである。
しかも市村が公認を打診された兵庫6区には、与党の人気現職、小池百合子が君臨していた。民主党の候補者探しが難航していたのも当然だった。市村は言う。
「しかし、時代が動いている時は、新人にとってはチャンスなんです。きちんとした主張を打ち出せば、絶対に理解が得られる。多くの選挙を手伝ってきた経験からもそう考え、兵庫6区で挑戦することに決めました」
市村は初めて駅頭で演説した「99年12月21日」を鮮明に記憶している。「松下政経塾出身の34歳、市村浩一郎です。日本の洗濯をジャブジャブとさせてください」
そんなフレーズをひたすら繰り返し、寒さに震えながら朝7時から9時まで喋り続けると、1日で喉がつぶれて声が出なくなった。
団体の会合や地域のお祭りに顔を出しても、野党の新人候補など相手にすらされない。それでも毎日、駅に立ち、自らハンドルを握って1人で選挙区内を回り続けた。
2003年に初当選
その甲斐あって2000年6月、市村は初の衆院選で約7万4000票を獲得した。当選した小池とは1万票差という大善戦で、市村を見る周囲の目が大きく変わった。
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