(前編から読む)
私が子供の頃、アメリカの大都市では、たいてい同じ民族がまとまって暮らしていた。イタリア系、アイルランド系、アフリカ系のアメリカ人が独自のコミュニティーと教会をつくる。東欧系のユダヤ人も、同質的な社会に住み、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)で祈りを捧げていた。移民一世を中心に形成された都市部のコミュニティーは、日本の農村と同じような共同体意識の強い社会だったのである。
政治家の行動もよく似ていた。日本には選挙応援に奔走した運動員に「足代」を払う習慣がある。これを日本独特の習慣だと考える日本人は多いが、アメリカにも「walking around money(歩き回る金)」という似たような表現がある。意味は「足代」とまったく同じだ。
1960年代半ばに崩壊したアメリカのマシーン政治
当時の民主党議員は、住居や就職の世話など、何かにつけて有権者の面倒をみた。私が若い頃、ニューヨークのブルックリンにあった民主党本部は、佐藤文生氏の別府の後援会事務所とほとんど同じようなサービスを有権者に提供していた。
しかし、アメリカ経済が発展し、価値観が変わるにつれ、地元を離れる人や、外部からの人口流入が増え、共同体としてのコミュニティーのまとまりは薄れていった。有権者は民主党のマシーン政治に恩義を感じなくなり、地元の政治ボスは次第に票を集められなくなった。ボス政治への批判も高まり、民主党内部の改革が進んだ結果、1960年代半ばにはマシーン政治は事実上崩壊した。
半世紀後の日本でも似たようなことが起きている。村落の共同体は、急速に弱くなった。子供は大きくなると、村を出て行く。テレビの地震報道を見ていつも衝撃を受けるのは、農村部で倒壊した家屋に住んでいるのが、ほとんどが高齢者だという現実だ。
遠のいた有権者と地元議員の距離
40年前、私が大分にいた頃には残っていた日本の大家族制度は、もう消滅したと言ってよい。昔の政治家が農村部で行っていたようなサービスは、もう誰も望んでおらず、必要とされてもいない。そして、必要とされるサービスが提供されていないのである。今のような社会では、地方議員や利益団体の幹部が地元の票をまとめようとしても、自民党の最盛期のようにはいかない。
数年前、私はあの地方議員と田舎道を歩いた村を久しぶりに訪れた。議員はすっかり年をとり、村は高齢者の村と化していた。かつてあれほど活気があった村の組織は見る影もなく、村民同士が集まって過ごす時間が減り、家でテレビを見て過ごす時間が増えた。
住民から要望のあった道路はすべて整備されたが、道路ができた結果、都会に出て仕事を探しやすくなった。「平成の大合併」と呼ばれる明治期以来の大規模な市町村合併は、効率化と行政コストの削減につながるだろうが、多くの町村議会が廃止されたことで、地元選出の議員が減り、代議士候補の票をまとめる地方議員も減った。そして、有権者と地元議員の距離も遠のいた。
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コロンビア大学政治学教授。日本の政治研究の第一人者。1940年米ニューヨーク生まれ。62年米ニューメキシコ州立大学卒業、69年米コロンビア大学大学院政治学博士課程修了。76年から現職。67年に博士論文の執筆のため来日、第31回衆院選挙で大分2区から出馬した自由民主党の佐藤文生(故人)候補に密着。この博士論文を基に、71年に『代議士の誕生』を出版した。三極委員会委員、米外交問題評議会委員、米日財団理事。大平正芳記念賞、中日新聞特別功労賞、国際交流基金賞を受賞、旭日重光章を受章。主な著書に『







