• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

女一人、執念で突きとめた真実

父の遺志をつぎ汚名と誤解を晴らすために戦い続けた人生

  • 宮嶋 康彦

バックナンバー

2009年11月13日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

■記事の最後に筆者の「特別ライブセミナー」のお知らせがあります。


前回から読む)

 野田平之助さんと娘の和子さんの、父娘2代にわたる、調査研究は、さらに真実へ近づいていく。明治建国に大きな貢献をしたグラバーの実像に関しては、前回紹介したように、父親の平之助さんが大方を解き明かした。父亡き後、娘に残された命題は、グラバー夫人の実人生とオペラ『マダム・バタフライ』の成立過程のドキュメントであった。今回は、その難しい問題を、和子さんの執念が明かしていった過程を追っていく。

 トーマス・グラバー夫妻の長女はハナ。ハナはウォルター・ゴードン・ベネットと結婚、4人の子宝に恵まれる。その二女、アメリカ・カルフォルニアに住むメープル・ベンネット・ライトさんは、昭和47 (1972)年、野田平之助さんに信書を送った。手書きの文字は、祖父母であるグラバー夫妻の名誉にかかわることで、心を痛めていると綴られていた。

 ライトさんは『蝶々夫人』が世界中で評判になっていくなか、長崎市がグラバー邸をその舞台であるかのようにコマーシャルすることに苦言を呈している。かつては自分の祖父母が暮らしを結んだ家である。祖父はイギリス人であり祖母は日本人であることから、ピンカートンと蝶々さんという、オペラの登場人物に准えられる危険性を孕んでいた。

江戸時代から文化の入り口となった長崎港。稲佐山から俯瞰(写真:宮嶋康彦)
画像のクリックで拡大表示
戦前から長崎と上海を結ぶ定期航路があった。長崎人は買い物を目的に上海に出かけた(写真:宮嶋康彦)
画像のクリックで拡大表示

 祖父のグラバーは幕末から明治日本の建国に貢献した人物である。祖母は娘(セン)と引き離された過去はあるものの、オペラで演出されるような、東洋趣味の悲劇性とは無縁に過ごした人である。ライトさんの手紙の大意は、「漠然としたイメージで、祖父母が生活をしたグラバー邸を『蝶々夫人』ゆかりの地とするのは、グラバー夫妻への侮辱につながりかねない」というものだった。

 そのことは、グラバー夫人ツルの血縁者にも同じ問題を投げかけた。平之助さんはライトさんの親書の内容と、ほぼ同様の手紙を、センの娘(妻の母)からも受け取っている。

ツルの位牌に刻まれた蝶紋(写真:宮嶋康彦)
画像のクリックで拡大表示

 「あなたには、長崎で初めて“ソロバン・ドック”を作った外国人の妻になった、ツルの墓を探してほしいと頼みましたが、祖母のツルが蝶々夫人のような外国人相手の芸者であるように誤解されるのは耐えがたい」

 といった文意には怒気が感じられた。平之助さんは「このままでは汚点を残したままになってしまう、真実はどうであったのか、何がフィクションなのか、きっちりと解明しないかぎり、ライトさんや親類の怒りは治まらない」と考えた。平之助さんはしかし、真実の在りかを探る途次、病に倒れてしまう。

コメント3

「奥深き日本」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック