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最先端技術の成果は「舌」で決める

イネゲノムと「中部125号」「浮きイネ」(その1)

2009年11月16日(月)

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 「昔の農家の人は、試験所の職員を拝んでいた、そんなエピソードも聞いたことがありますよ」

 ハンドルを握りながら愛知県農業総合試験場主任研究員の坂紀邦氏が語る。

 東京を早朝に出発、名古屋駅で新幹線を降りて地下鉄東山線で約30分の藤が丘駅まで。駅の出口で待ち合わせして坂氏の運転するクルマにピックアップしてもらい、豊田市稲武町にある山間農業研究所を目指した。

 藤が丘は確かに最寄り駅なのだが、そこからがまた遠い。市内を抜け、元愛知万博会場を横目で見ながら次第に山間に分け入っていく。愛知県でも紅葉の名所とされる足助町の香嵐渓を通過。峠にさしかかって高度が高くなると途切れるが、分水嶺を越えて坂を下り始めると眼近に迫る山の手前にわずかに開けた土地を利用して、刈り入れが終わった後の田圃の光景が再び見えるようになる。

 何度かそんな繰り返しを経て、目的地である稲武町に到着した。

“一等地”を試験場に差し出した

 稲武町に位置する山間研究所は、イモチ病対策を課題として作られた試験所だ。その周囲地域は、全国で最もイモチ病が発生する場所だというありがたくない評価を得ていた。温度、湿度などがイモチ病の原因であるカビの生育に適しているらしい(イモチ病菌は21~24度が最も繁殖に適しているとされる)。

建物の裏に田圃が広がる山間農業研究所

 イモチ病は長く農民たちに最も恐れられてきた病気で、日本では宮城県名取市にある広積院の記録「永禄以来当院記録年鑑」(延宝8年=1680年)に「イリモチ」という名で記されているのが歴史に登場した最古の例のようだ。その後、佐瀬与次右衛門の『会津農書』(貞享1年=1684年)、宮崎安貞『農業全書』(元禄10年=1697年などにイモチ病の記事がある。

 被害は深刻で、広範囲に発生した圃場では大幅な減収を強いられる。そんな場所に山間研究所が愛知県立農事試験場稲橋試験地として作られたのは1933年、まさにイモチ病の研究のためだった。

 開設時に地元の農家は山間の限られた土地なのに、最も農業に適している場所を自ら提供したのだという。凶作に苦しんできた農民にしてみれば、試験場の分室設置はまるで救世主の到来のよう。冒頭に引いたエピソードも、もうイモチ病に苦しめられたくないという農家の人たちの切実な願いから作られた習慣だったのだろう。

画像のクリックで拡大表示

 試験所がイモチ病対策として選んだ方法は、中国を産地とする「戦捷(せんしょう)」という陸稲種の利用だった。戦捷はイモチ病に強い。病気にはなるが、収量に大きな影響が出るまでには至らない。そんな戦捷とほかの水稲品種を交配させて、イモチ病に強い品種を作る研究、試験が続けられ、食糧の安定供給に大きく貢献してきた。

 ところが1960年代末に米の完全自給ができるようになると、米作では安定供給よりも食味が重視されるようになる。そうなると「戦捷」との交雑で生まれた品種は不利となる。

 どうしても味が犠牲になりがちだったのだ。食味が重視されるようになって日本の稲作はコシヒカリ中心に変わり、しかし、その結果、イモチ病が以前より蔓延することにもなる。コシヒカリは病気に弱い品種なのだ。近くでは1993年にイモチ病が大発生しているが、それも病気に弱い品種が増えたことと無関係ではないだろう。

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