「古典の翻訳がさっぱり分からなかった人へ」

第1回 古典の翻訳を読んで理解できなかったとすれば…

アダム・スミスの『国富論』を例に考えてみる

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2009年12月3日(木)

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 古典の翻訳を読んでさっぱり理解できなかったという思い出のある人は少なくないと思う。理解できなかったのは勉強が不足しているからだと反省したり、頭が悪いせいではないかと親を恨んだり、いずれにせよ苦い思い出が残っているのではないだろうか。

 自慢ではないが(自慢するようなことではないが)、そういう思い出ならたぶん、たいていの人に負けないほどあるので、なぜ理解できなかったのかを考えてみたいと思う。それには、具体例をみてみるのが一番だろう。古典の翻訳も時とともに進歩しているはずなので、比較的最近、21世紀になってから出版された古典翻訳を例に取り上げる。出版社は岩波書店だし、岩波文庫に入っているので、権威ある翻訳のはずである。アダム・スミス著、水田洋監訳・杉山忠平訳『国富論1 』の第1編第1章第1段落をみてみよう(なお、この訳は2000年5月に第1刷が発行された後、2002年の第2刷でかなり改訂されている。ここでは第2刷の訳文をみていく。参考のために最後に原文を掲げた)。

 労働の生産力の最大の改良と、それがどこかにむけられたり、適用されたりするさいの熟練、腕前、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる。(同書23ページ)

 なんだ、簡単ではないかと思えるかもしれない。確かに、ここで使われている言葉をひとつずつみていくと、難しい漢字や難しい言葉はまったく使われていない。どちらかというと漢字が少なく、分かりやすく易しい言葉ばかりが使われている。だから、一見、理解しやすい文章だとみえる。だが、少し落ち着いて意味を考えていくと、ちんぷんかんぷんだと思えてくる。

「最大の改良」とは何なのか?

 どこがどのように理解できないのか、少し具体的にみていこう。まず、「労働の生産力の最大の改良」が何を意味するかが分からない。そう話すと、「労働の生産力」も知らないのかと馬鹿にされかねないが、ここでもっと分からないのは、「最大の改良」だ。「改良」とは、『新明解国語辞典』によれば「欠陥の有る物をくふうして、よりよい物にすること」である。ということは、「労働の生産力」に何か欠陥があったということなのだろうか。それに、国語辞典にはそこまで書かれていないが、「改良」には小幅なものという語感がある。その言葉に「最大の」がついているので、頭が混乱する。

 つぎの「それがどこかにむけられたり、適用されたりするさいの熟練、腕前、判断力の大部分は」になると、もう絶望的に分からなくなる。「それ」とは何なのか。この訳文を読むと、「改良」だと考えるのが一番素直だ。だが、「改良がどこかにむけられ」るとか、「改良がどこかに適用され」るというのはどういう意味なのか。「熟練、腕前、判断力」とどういう関係があるのか。じつは分からないのが当然なのであり、水田・杉山訳の第1刷では、「それ」ではなく、「労働」になっている。

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このコラムについて

古典の翻訳がさっぱり分からなかった人へ

経済、経営分野など翻訳の第一人者が、翻訳を通して日本の近代化の過程を語る10回シリーズのコラムです。『国富論』、「アメリカ独立宣言」、『源氏物語』、『自由論』など、古典の翻訳を例にとって、なぜそのように訳されたのかをはじめ、明治の翻訳が日本の近代化に果たした役割の大きさについて述べていきます。さらに、エンターテインメント小説分野の考察では、新たな翻訳の可能性についても言及します。

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