「藁焼き鰹たたき」や「砂浜美術館」「四万十ドラマ」「ぽん酢しょうゆ ゆずの村」など数多くのプロジェクトを成功に導いたグラフィックデザイナー、梅原真。その成功を紐解けば、商品に色濃く反映されている「土地の遺伝子」と商品や企業が放つ「アイデンティティ」が大きな要素を占めていた。消費者が梅原の描く商品に関心を持つのは、この2つの要素がトリガーになっているためだ。
最終回の今回は、「オリジナルのモノサシを持つ」という梅原の根底を流れる考え方と、その哲学を具現化した「はちよんプロジェクト」について書く。ビジョンなき国に問題提起を投げかける「はちよんプロジェクト」とは何か。
室戸岬から足摺岬まで延々と海岸線が広がっているからだろうか、高知県には海のイメージが強い。だが、実際に高知を訪れてみると、山と森に囲まれた「山の国」ということに気づく。事実、山地率は89%と全国平均を大きく上回っている。森林率84%。これは全国一の数値である。
眼前に広がる太平洋、迫り来る四国山地。この独特な自然環境は高知県に豊かな産物と雄大な景色を与えた。
カツオをはじめとした新鮮な海産物を高知の食卓に送り届ける黒潮。高知県を囲むようにそびえる四国山地からは四万十川はもとより、仁淀川、物部川、安田川などの美しい河川が幾筋も流れ、その清流は鮎やウナギ、川エビや青のりといった川の幸を流域にもたらしている。
なすやビーマン、ミョウガなど多彩な農作物を育む南国特有の気候。陽光をたっぷりと吸い込んだ大地が生み出す恵みによってこの国では独自の食文化が花開いた。「四国」と一言でくくられるが、ほかの3県とは風土も気候も大きく異なる。まさに、“異国”といった趣がある。
県内GDPは46位、工業力は47位の高知県
もっとも、恵まれた自然環境とは裏腹に、経済は足踏み状態が続いている。
県版の国内総生産(GDP)である県内総生産は鳥取県をわずかに上回る46位。工業力の指標となる製造品出荷額等は沖縄県に抜かれて47位に転落した。地方公共団体の財政力を示す財政力指数も最下位。1人当たりの県民所得も217万円と44番目だ。こと経済という尺度に限ってみれば、日本の中の“後進国”といっても過言ではないだろう。
この現実は高知の人々の心に影を落としている。
「いい資源があるのに、観光に生かし切れていませんよね。そんな高知に対するじれったさがあるのでしょうか」
現在、高知新聞などで高知県庁を舞台にした小説、「県庁おもてなし課」を連載している高知県出身の作家、有川浩。彼女に執筆の動機を訪ねた時のこと(「『県庁おもてなし課』は高知を変えるか?」)、
「高知県人であれば、誰もが持っていると思う」
と彼女は即答した。恵まれた資源があるのにそれを生かし切れない現状、誇るべきふるさとが他県の後塵を拝している実情――。今回の取材でも、多くの人たちが高知県への誇りと悲憤を口にしていた。故郷を愛するのは誰でも同じ。だが、何度か訪れてみて、高知県はその想いが人一倍強いような気がした。
ふるさとに対する愛情と苛立ち。この交錯した感情を、梅原は誰よりも強く持ち続けてきた。「藁焼き鰹たたき」や「砂浜美術館」、「四万十ドラマ」などを世に送り出した高知県在住のグラフィックデザイナーである。
高度経済成長が破壊した大切なもの
梅原は1950年1月、高知県高知市で生まれた。物心がついた昭和30年代、高知市内には土佐の風景が色濃く残っていた。魚屋の裏でタタキを焼く姿を、幼い頃の梅原はキャッチボールをしながら何度も見た。日暮れ時、蝉時雨の声を聞きながら土手を歩いた。その光景が原風景として心に刻まれた。
だが、11歳で転校した和歌山はまるで違っていた。高度経済成長のとば口に立った日本。和歌山の空は灰色で、流れる川はよどんでいた。学力不足でいじめられたことも相まって、和歌山は梅原にはとても住みにくいところだった。和歌山の空が灰色に染まれば染まるほど、心の中の高知は神聖なものとなり、まばゆいばかりの光彩を放った。
「はよう、高知に帰りたい」
そう念じ続けた梅原は大学卒業後、一目散に高知に帰った。だが、高知に帰ってみると、梅原が愛した景色は経済成長の中で変貌を遂げつつあった。何か理不尽なものに、押しつけられた価値観に、大切なものが破壊されていく――。若き日の梅原はただ呆然と眺めるほかになかった。
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