• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

第2回 翻訳だけで分かるようには訳されていない

「Are you a girl?」の意味を考えてはいけなかった

  • 山岡 洋一

バックナンバー

2009年12月10日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

前回から読む)

 前回は古典の翻訳を読んでも意味がよく分からない場合、翻訳が悪いためであることが少なくないと指摘した。今回は翻訳を読んでも理解できないことが多い理由を考えていきたい。

 いきなり身も蓋もない話をしよう。じつのところ、八百屋に行けば魚が買えると思ってはいけないように、古典の翻訳を読めば意味が分かると思ってはいけない。最近は違ってきたが、以前にはそういう場合が多かった。古典を学びたいのであれば、原書を読みなさいというのが常識だったのだ。では、翻訳書は何のためにあるのか。原書を読むのは簡単ではないので、参考にするためだ。かたわらに翻訳書を置いて原書を読む。これでも意味を理解するのは容易ではないので、もうひとつ、解説書もかたわらに置いておく。原書と翻訳書と解説書の3点セットで学ぶのが正しい方法だったのである。

 これはもちろん、極論だ。例外はたくさんある。しかし、以前に常識であった翻訳のスタイルは、原書を読む人のための翻訳という目的に最適なものだった。だから、常識的な訳し方をしていると、読んでも意味がよく分からない翻訳ができあがる。訳者がよほど意識して、常識的な翻訳のスタイルから脱却しようとしないかぎりそうなる。どういうスタイルだったのか。

言葉に鈍感になるよう強いているかのような学校教育

 以前に常識だった翻訳のスタイルについては、じつは説明する必要もなく、誰でも知っているはずだ。学校で教えられた英文和訳を思い浮かべればいい。英文和訳の訳し方は、翻訳で使われてきたスタイルにしたがっていたのだから。たとえば、こういう例を思い出してみるといい。

 Are you a girl? あなたは少女ですか。

 こう訳すとき、意味を考えてはいけない。誰が、どういう場面で、誰に向かって、なぜこう質問するのか、などと考えていては、頭が空回りするだけで和訳はできない。こんな質問をしては失礼ではないかとか、馬鹿にされないかなどとは、ちらっとでも考えてはいけない。そういうことは一切考えず、いいかえれば意味は一切考えず、教えられた通りに訳さなければいけない。そうしないと英文和訳で良い成績は収められない。

 外国語を学ぶと、母語の世界から外国語を眺めると同時に、外国語の世界から母語を眺めることになるので、言葉というものに敏感になるはずである。ところが学校教育では逆に、言葉に鈍感になるよう強いているように思える。もったいない話だ。

 大学入試の英文和訳となると、はるかに複雑な文章を、辞書も使わずに、あっという間に訳さなければいけない。意味が伝わるように訳そうなどとは考えてはいけない。鈍感力を極限まで発揮し、英文法で教えられた通りに構文を理解し、それぞれの単語に決められた訳語をあてはめて訳していく。これと同じ訳し方をするのが、以前の翻訳では常識になっていた。

 前回にあげたアダム・スミス著、水田洋監訳・杉山忠平訳『国富論1 』の第1編第1章第1段落をもう一度みてみよう。この訳書は杉山忠平が本文の翻訳を終えた時点で倒れ、水田洋が「訳語の統一」などの作業を受け継いで出版されている。第1刷では作業を急いだために不十分だった点を第2刷で訂正したという。どこがどう変わっているかをみてみよう。

コメント12件コメント/レビュー

「原書と翻訳書と解説書の3点セットで学ぶのが正しい方法」という一節に、なるほどそうだったのかと思いました。学生のころに、J.S.ミルの「自由論」(岩波文庫)を手にしたのですが、あまりの直訳に2ページ目で諦めました。「~であるところの」という表現が繰り返され、原書でここは関係代名詞なのがとはっきりと分かりました。この連載を読むまでは、辞書を引く代わりに、翻訳書を隣において原書に挑むということに全く思い至りませんでした。(2009/12/17)

「古典の翻訳がさっぱり分からなかった人へ」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

「原書と翻訳書と解説書の3点セットで学ぶのが正しい方法」という一節に、なるほどそうだったのかと思いました。学生のころに、J.S.ミルの「自由論」(岩波文庫)を手にしたのですが、あまりの直訳に2ページ目で諦めました。「~であるところの」という表現が繰り返され、原書でここは関係代名詞なのがとはっきりと分かりました。この連載を読むまでは、辞書を引く代わりに、翻訳書を隣において原書に挑むということに全く思い至りませんでした。(2009/12/17)

コラムに対してはなるほどと、コメントに対しては???例として挙げられている国富論の訳者は別段無能だから今で言う機械翻訳的な訳をしたわけではありません。コラム中にあるようにかつての古典の読み方に端を発するロジックに基づいて意図してあのように訳しているのでは?何を勘違いしているのかこの訳者は駄目だとか自分の方が上手だとか言っている人がいるようですが全くの筋違いではないかと思いました。コラムの筆者も例のような訳者が駄目な訳者であるなどとは言っていないわけですが。どのように訳するかは訳書ごとの用途を汲み取ってくれればいいわけで超訳もそれが適していればそれでいいでしょう。どのような訳がいいのかは本によるのであって「訳が難解=訳し方が下手」とか逆に「訳といえば何でも訳語統一」といった短絡思考で結論付けるものではないはずです。(2009/12/11)

『"It"を「それ」と訳す翻訳者は機械翻訳者に駆逐される』と大言した手前、自分の和訳を以下に提示します。厳密な翻訳というよりは、日本語で同じ意味の論文を書いたらばこのような表現になるのではないかという感じで訳してみました。「労働の生産力向上の最大要素と、労働力の熟練・技量・それらの配分および適用についての判断力の向上のかなりの要素は、分業の効果であったように思われる。」(2009/12/11)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

「タイム・トゥ・マーケット」で売らないともうからない。

栗山 年弘 アルプス電気社長