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007|EV「ハイパーミニ2」を創る
パッションこそが新しいものを生み出す

2009年12月9日(水)

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■記事の最後に筆者の「特別ライブセミナー」(12月16日開催)のお知らせがあります。和田智さんのお話を直接聞いてみませんか。

 前回のコラムでは電気自動車(EV)と、会社を変えようと言った2つの内容がミックスし、分かりづらくなっていたことをお詫びしておきます。

 しかし内容のダイレクションとしてはとても大切なことを含んだものと考えていますので、少しずつ内容を分けて書いていこうと考えていますのでよろしくお願いします。

 さて今回はEVに関して。

 今回、私はアウディを卒業し2010年より正式にデザイン事務所「SWdesign」をスタートしますが、その仕事の大きな1つのヴィジョンとして、新しいモビリティのデザインもちろん――それはハードだけではなく、実体を伴わないソフトも――、くらしそのもののデザインを考えています。

 前回のコラムでも述べているように、このターニングポイントで、社会はこの地球環境とともに大きく変わろうとしています。その中でEVがもたらす暮らしそのものをどのようにコミュニケーションし、創造して行くかということです。

日産時代、有志で始めたEV開発

 1990年代初頭、バブル崩壊に伴って社会は大きく変わろうとしていました。もうかれこれ15年も前、私が日産自動車のシニアデザイナーとして在籍していた時代です。ちょうど私が社命留学で2年間ロンドンの芸術大学(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート=RCA)から再び日産に戻った時のことでした。

 金融崩壊を招いた日本が、その最初のきっかけを迎えている時でした。欧州での社会環境やデザイン環境を目の当たりにした私は、その会社のプロジェクトのあり方に問題を感じていました。

 当時の日産の状況は、時代が厳しくなりつつあったにもかかわらず、相変わらず将来的なヴィジョンや意志表示に欠けた状況であったと思います。これまでと同じ作り方で,同じプロセスでプロダクトアウトしていました。欧州のビジネスセンスを感じ取っていた私は、会社の中にいたアナーキー的な何人かと共に1つのプロジェクトを創りました。

 スタートは自発的なプロジェクトでした。後の少数生産ながら日本初のピュアEVとして発売された「ハイパーミニ」の始めの出来事です。

 まだまだ「ブルーバード」や「セドリック」といった昔ながらのブランド商品にアップアップしていた時代ですから、我々の将来に対するビジョンなど耳に傾けてくれる人は会社の中でもなかなかいない状況でした。

 「利益の見込めない電気自動車なんてやる意味はない」

 それが多くの社内での声でした。

会社の中に小さな会社を創った

 私を含めたコアチームは、メインでやらなければいけない仕事の後に、まあ夜でしたが、皆が集まり企画を進めて行きました。日本のような会社の体質ですと事例がないものに対する容認はきわめて厳しく、その壁を越えて行くためには、新しいものを創り出し、新しい暮らしを提供することへの大きなパッションが必要であったと思います。その壁を越えて行くこと、これが我々チームのスローガンであったように感じます。

 会社の中に小さな会社を創ったという感じです。

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