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任された大事な仕事で身体を動かすと心が安らぐ

ニュータウンに生まれた障がい者の農園(その1)

2009年12月21日(月)

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 「東急田園都市線が長津田駅まで延びたのが1966年。そして私はその翌年の67年に長津田の2つ手前の青葉台駅のすぐ近くの団地に引っ越して来て、幼稚園の年長組に入りました」

 横浜市青葉区の社会福祉法人グリーンの作業所を兼ねた事務所で、常務理事で施設長の石田周一氏が言う。

 田園都市線は渋谷駅から世田谷区、そして多摩川を渡って神奈川県北部地域を横切って走る。現在は長津田からさらに延伸され、小田急線と中央林間駅でつながる。そのまま地下鉄半蔵門線に乗り入れる便利さもあって、沿線から東京圏に向かう通勤・通学の主要な足となっている。

40年間の変遷

 「団地の裏がすぐに里山状態でしたね。カブトムシが取れた。田んぼも残っていて、泥まみれになりながらザリガニを取って遊んでいました。それが私の原体験ですね」と石田は言う。今のグリーンの事務所は青葉台駅からは離れているが、その周囲は閑静な住宅地区となっており、里山と田んぼは見られない。約40年の時間はこの辺りの景色を大きく変えた。

 実は筆者もまた、それを目撃している。大学時代、バイクに夢中で、時間があれば多摩の丘陵から湘南辺りまでを走っていた。モダンな郊外都市へと開発されてゆく青葉台駅周辺もしばしば通過した。多摩の自然の上に瀟洒(しょうしゃ)な都市の景観が上書きされてゆく、まさに過渡期の風景を見ながら、丘陵を縫うように走り、青葉台駅近くの洒落たカフェで一服した記憶も残っている。石田氏の説明を聞いて、自分が石田氏の記憶の中にある約40年間の途中経過を見ていたのだと思っていた。

 ひとしきり話が済んだ頃合いを見計らって、グリーンの事務所からクルマで出掛けた。石田氏が走りながら、沿道の解説をしてくれる。「小さい頃はこの辺なんかもう怖くて来られないくらい鬱蒼(うっそう)としたエリアでしたよ」。そこには分譲住宅が整然と立ち並ぶ中に木々を紅葉させている小さな公園があり、ニュータウンらしい光景がしばらく続いていた。

 しかし、その一角を抜けると景色が変わった。クルマのフロントウィンドウ越しに田圃が広がる。田と畑、そして栽培用のビニールハウス・・・・。そんな風景の中をしばらく走ると石田氏が言う。「これがうちの畑と田んぼです。8000平米の畑を去年の4月から、1700平米の田んぼを今年から借りて使わせてもらっています」。

社会福祉法人グリーンが使っている農園

 今にも泣き出しそうな冬空だったが、若者たちが黙々と堆肥を運んでいる。彼らはグリーン所員である知的障がい者だ。ボランティアで手伝ってくれている学生スタッフやグリーンの職員が畑にタマネギの苗を植えている姿もそこにはあった。

*     *     *

 青葉台で育った石田氏は青山大学文学部に進み、教員を目指していた。しかし学業には身が入らなかったという。

 「わたしは教員志望ではあったが、よく遊び、ほとんど学ばない、いわゆるフツーの学生だった。大学に行っても、授業をサボって,友人と近くの渋谷の街などフラフラ。努力することはクールでないと考え、農業にはマッタク関心がなかった。スポーツ以外で汗を流すことなどダサい、ラクしてテキトーにカッコヨク、刹那的に楽しければいい。そんな安易な生き方をしていた」(『耕して育つ』[石田周一著、コモンズ])

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