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第5回 翻訳調の成立

合理的だった原文の意味を考えなくても訳せる仕組み

  • 山岡 洋一

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2010年1月7日(木)

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 福沢諭吉と同じ時代に活躍した人に中村正直(敬宇)がいる。幕臣の息子として生まれ、若くから儒学で頭角をあらわし、江戸末期を代表する儒者になった。その一方でまずは蘭学を学び、やがて英学も学んだ。慶応2年(1866年)には幕府の留学生取締としてイギリスにわたり、明治元年(1868年)に帰国している。明治3年(1870年)から明治4年(1871年)にかけて翻訳書の『西国立志篇』を出版し、大ベストセラーになった。明治5年(1872年)にはJ.S.ミルのOn Libertyを訳した『自由之理』を出版している。

 この『自由之理』は、読者に強い感動を与えており、自由民権運動はこの本からはじまったといえる。いま読んでも、ほんとうに素晴らしい名訳だと思う。同時に、いま読むと、明治初めに翻訳がいかに大変だったかが実感できる。ミルの原著は、個人の自由を論じた名著であり、支配者が個人に行使する権力ではなく、社会が個人に行使する権力を扱っている。このため、原著ではsocietyとその言い換えであるcommunityやnation、peopleといった言葉がキイワードになっている。ところが明治の初めには、societyという言葉の意味を理解するのが絶望的なほど難しかったようなのだ。中村正直はこの語に「政府」「仲間連中(即ち政府)」「世俗」「仲間」「人民の会社(即ち政府を言ふ)」「仲間会社(即ち政府)」「会社」など、さまざまな訳語をあてている。いまなら、誤訳の一語で片付けられる訳語を使っているのである。

 なぜ、これほど苦労したのか。理由は簡単だと思う。当時の日本には、societyで表現されているものがなかったのだ。実体がなかったのだから、それを表現する言葉もない。だから、訳そうとしてもうまく訳せない。中村正直は当時を代表する天才だが、天才すら、この困難を解決できなかったのだ。

やがて「society」には「社会」という訳語が“決まった”

 明治28年(1895年)になると、このあたりの事情が大きく変わっている。この年に発行された高橋正次郎訳『自由之権利』を読むと、societyは楽々と「社会」と訳されている。苦労しているようには思えない。中村正直の『自由之理』から24年たって、日本にもsocietyの実体ができあがり、誰でも簡単に理解できるようになったのだろうか。

 とんでもないと思う。このころになると、societyには「社会」という訳語をあてるのが常識になっていたのだ。訳語が決まっただけであり、この語の意味が理解できたのではない。意味が分からないので、とりあえず訳語だけを決めたというべきだろう。

 たとえば、philosophical necessityなどの言葉でも同じことがいえる。この語は中村正直がカタカナで表記して適切な訳語がないことを認め、「後人の改正を待つ」と注記したものだが、高橋正次郎訳では「哲学的必至」と訳されている。明治もこのころになると、さまざまな語の意味はともかく、訳語は決まってきていたのである。

コメント1件コメント/レビュー

明治初期の翻訳者が"Society"に対する訳語を見出せなかったという「事実」は、私には理解し難いものです。なぜなら、私ならば即座に(当時の意味での)『世間』と訳すからです。"Society"の持つニュアンスを最も広くカバーできる当時の日本語として「世間」という単語がすぐに頭に浮かびました。中村正直氏は「世間」を既に別な単語に割り当ててしまっていたのでしょうか?(2010/01/07)

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明治初期の翻訳者が"Society"に対する訳語を見出せなかったという「事実」は、私には理解し難いものです。なぜなら、私ならば即座に(当時の意味での)『世間』と訳すからです。"Society"の持つニュアンスを最も広くカバーできる当時の日本語として「世間」という単語がすぐに頭に浮かびました。中村正直氏は「世間」を既に別な単語に割り当ててしまっていたのでしょうか?(2010/01/07)

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