2008年春から約1年間、私はアウディ&フォルクスワーゲン(VW)のサテライトスタジオがある米カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のサンタモニカ市にいました。このサンタモニカスタジオはアウディ&VWのアドバンスデザインの役割を担うスタジオです。
アウディそしてVWサイドの2つに分けて運営され、私はシニアデザイナー兼クリエイティブマネージャーとしてこの両スタジオを統括していました。それ以前、10年以上ドイツで活動した私は、自動車社会が迎えているこのターニングポイントにおいて、新しい環境で新しい価値を考え始めようとしていました。
ドイツのインゴルシュタットにあるアウディ本社には、いろいろな国籍のデザイナーが総勢50名程度いますが、私を例外としてそのほとんどは欧州のデザイナーです。それに対し、カルフォルニアスタジオには多くのアジア系デザイナーが在籍していました。米国のアジア系クリエーターの“繁殖率”は想像を絶するほどで、これはアジア系米国人の増加率と比例するものなのでしょう。
「ベイビー」との思わぬ再会
カリフォルニアスタジオの初日、そんなデザイナーたちに自己紹介を兼ねたプレゼンテーションを済ませると、VWサイドのチーフデザイナーが私のところに歩み寄りました。そして一言。
「Satoshiのベイビーがペターソン・オート・ミュージアムで待っているよ」
意味がよく分かりませんでしたが、言われるがままにウィルシェア・ブルバードにあるミュージアムを訪れました。
ペターソン・オート・ミュージアムと言えばロサンゼルスでも有数の自動車ミュージアムです。往年のフォード1号車から、エルビス・プレスリーが乗っていた「キャデラック」など数多くのクルマが展示されています。そんな展示会場の2階、EV(電気自動車)コーナーにさしかかった時、彼が何を言っていたのかがクリアーに理解できました。
そこで私を待っていたもの、それは日産「ハイパーミニ」でした。
1997年の東京モーターショーで発表したEVコンセプトショーカー「ハイパーミニ」は、私にとって日産で最後の仕事になりました。そしてその生産が決定された後、アウディへ移籍しました。私はその生産車を実際に見たことがないままドイツで10年を過ごしていたのです。
「過去からの声」を聞いた
何か不思議な“ご対面”でした。少しオリジナルとは違う部分もありましたが、後を引き継いでくれたデザイナーたちは良くまとめてくれたなと思いました。多くの問題を知っていた私にとってその苦労がわかりました。ゆっくりと見回し再度、フロントに戻った時のことです。
「未来を創れ」
私は確かに彼からのメッセージを感じたのです。冗談ではありません。10年以上も昔に自分が創ったものに何かを聞かされる衝動でした。理解しがたい衝動だと思いますが、それは確かに私の過去からの、私の未来のための声だったのです。私はその後、1時間はその場にいたでしょうか。何か魔法にでもかかったような時間であったと思います。
私のこころは動きました。「新しいVison、次へ行こう」と。
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デザイナー、SWdesign TOKYO代表、Audi Design Partner。1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒。84年日産自動車入社。シニアデザイナーとして、初代セフィーロ(88年)、初代プレセア(89年)、セフィーロワゴン(96年)などの量販車を担当した。89〜91年、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート留学。日産勤務時代最後の作品として電気自動車のハイパーミニをデザインした。98年、アウディAG/アウディ・デザインへ移籍。シニアデザイナー兼クリエーティブマネジャーとして、現行のA6、Q7などの主力車種を担当した。アウディのシンボルとも言えるシングルフレームグリルをデザインし、その後「世界でもっとも美しいクーペ」と評されるA5を担当した。そのほかAudi Pikes Peak Quattro、Audi Avantissimoなどのショーカーも担当した。2009年6月アウディから独立。自身のデザインスタジオ「







