山岡 歴史を見る際に、我々はついつい「日米関係」と簡単に言いがちなんですが、「国」と「国」でさえ実は1対1対応じゃなくて、多対1だったり、1対多であったり、多対多であったりします。そして、それらの国の中にもいくつもの勢力や都合、意思がある。それぞれが、個々に「歴史」の経緯を持っている。最近になって、ますます個々の意見や反応がばらばらになり、しかもそれがネットのおかげで目立つ形で見えてくる。
それをある程度まとめて、別の国々との交渉に臨むというのは、これはもう考えただけでもどえらいことですよね。我々は「日本は外交下手だ」と気楽に批判するし、事実そうなのでしょうけれど…。
加藤 それはすごくいいご指摘です。説明しない、しゃべらない、で済ませられるなら、その方が楽ですよね、内政も外交も。
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加藤 陽子(かとう ようこ) 1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。89年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史。本企画で紹介している以外の主な著作には『徴兵制と近代日本』(吉川弘文館)『戦争の論理』(勁草書房)などがある。 |
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山岡 淳一郎(やまおか じゅんいちろう) 1959年、愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。「人と時代」を共通テーマとして都市開発、医療、ビジネス、近代史と分野を超えて、旺盛に執筆。ドキュメンタリー番組のコメンテーターとしても活動している。本企画前編「わたしたちが「こうなった」のはなぜ?〜「角」の視点から学ぶニッポン現代史」もぜひ。 |
加藤 だから戦前は軍事力、戦後は経済力にぶいぶい言わせて、「しゃべらず外交」でやってきたわけですね、乱暴に言えば。でも、経済力が相対的に落ちていくこれからは、相手に有効な言葉で説明しなきゃならない。
山岡 そのあたりで、歴史から学べる点ってありますか。
加藤 「説明しなきゃならない」という立場での、戦前期の最大のケースは、やっぱりパリ講和会議(1919年1月開会、第一次世界大戦の戦後処理を決めた国際会議)でしょうか。戦勝国として出席はする、しかし黄色人種は少数派、しかも中国は二十一カ条問題で日本を攻撃してきそうだと。意外なことにパリ講和会議自体の研究は日本で少なくて、私もいろいろな資料を一から読んだんですね、アメリカの言い分とか中国の言い分とか、イギリスの言い分を。
そのときふと思ったのは、これは、あの外交官の吉岡文六さんが言ったことと同じなんですが(第1回「日本のそれぞれの町に、それぞれの「坂の上の雲」がある」)、「交渉ごとは、正直にやっていれば最後には引き合う」ということです。
山岡 この講和会議に出席した牧野(伸顕、全権次席)と西園寺(公望、全権主席)は、当時国内では相当批判もされたようですね。
多対多ならば、実は「正しい」ことは通る
加藤 そのとおりです。帰国後、国家主義者などから「米国に言われるままだった、中国に甘すぎる」との批判を受ける。その時のトラウマから、国家改造に走る団体などがどんどん生まれてくるのですが。
ただ外交交渉という面から見てみると、また違う光景が現れてきます。牧野や西園寺が一生懸命、大国の中で発言しているのを、議事録とかから読んでみますと、日本側が「正しい」主張をしているときには、当時の大国、米・仏・英の三巨頭、ウィルソンやクレマンソーやロイド・ジョージが同意し、味方をしてくれていた。

ご存じの通り日本は、長期的にはこれらの国とだんだん対立していきますね。だけど、やっぱり誰が見ても、正しいこと、これは条約として認められているんだということ…グレーゾーンは別ですけれども、それを論じたときには、やはり支持し、助けてくれる。
山岡 例えばどういうことがあったのですか。
加藤 典型的なのは、顧維鈞というきわめて冷静かつ有能な中国側の代表が、「清国に持っていたドイツ(敗戦国)の権益を、直接中国(中華民国)に戻さずに、日本がいったん獲得するのはおかしい」と述べたときです。これに対して英国首相のロイド・ジョージが「日本はやはり一緒に連合国としてドイツと戦った国だ、その日本と戦争中に多国間条約で確認した約束を英国が破ることはできない」といって日本を擁護する。
山岡 日本は、ドイツを中心とする同盟国を打ち負かすために、イギリス、フランス、ロシアなどの連合国側と条約を結んで参戦するという方法を選んだ。その結果、ドイツが敗れたのだから、条約の規定どおり、ドイツの権益は日本が獲得できるのだ、という筋論が立つ。たとえドイツが欧州での戦争に力を傾注せざるを得ず、極東の手薄になったところを日本が突いたにせよ、です。
が、しかし、顧維鈞にすれば、中華民国は第一次大戦の「戦勝国」側であるうえ、ドイツと清国が結んだ権益に関する条約は、1912年に清国が滅んだ時点で失効している、となる。中国側の「元の持ち主に戻すのが当然だろう?」という主張も、もっともだと聞こえますよね。
加藤 短期的、感情的にはそうですよね。で、ロイド・ジョージはそこで畳みかけて「しかし第一次大戦では、ドイツが勝つかもしれなかったんですよ」と。危機の時、アメリカも中国も参戦していなかった。あの時負けていたら元に戻すもなにもない。同情は中国の上にもちろんある、としつつ、戦争の先行きがわからない時点で協力しあった日本と結んだ条約の「正しさ」を優先してくれたわけです。
「弁疏せんとすることすら実は野暮なり。」
加藤 我々はよく「プロパガンダが下手だったから日本は外交で負けた、上手な国が外交の土壇場で勝った」と負け惜しみもあって言いますね。だったら「プロパガンダ、宣伝でも勝てばいいでしょう」と言いたい。
宣伝で勝つにはどうするか。正しいことを、後世の人が読んでも恥ずかしくないようなことを、わかりやすく説明することだと。ちゃんとしたことを言っていれば、必ず味方に付いてくれる人がいます。それは、歴史を通して学ぶことができる、そう思うんですね。
まして米国とか、自国に自信満々の大国というのは「アンダードッグ」につくという言い方があって、負けている側に付くわけですよ。
山岡 日本で言うところの「判官びいき」ですね。
加藤 ええ。だから、「あいつはいいことを言っているのに、何か会議の雰囲気にのまれて、じっとだまって屈辱に耐えているな」というときなど、やっぱり誰かが見て手を貸そうとしてくれているんですね。これはおそらく日本の外交官が、いろいろなところで感じてきたことだと思います。
山岡 逆に、本国から「正しくないこと」を表明するように強いられた例ですが、このパリ講和会議に出席した松岡洋右が、日本が清国に対して第一次大戦中に行った『二十一カ条要求』について、こんな手紙を書いている、と『それでも、日本人は…』の中で紹介されていますね。パリ講和会議で日本側が「火事場泥棒みたいではないか」と責め立てられた経緯をふまえて読むと、味わい深いです。
いわゆる二十一カ条要求は論弁(ろんべん)を費やすほど不利なり。そもそも山東問題は、到底、いわゆる二十一カ条要求とこれを引き離して論ずるあたわず。しかも二十一カ条要求については、しょせん、我においてこれを弁疏(べんそ)せんとすることすら実は野暮なり。我いうところ、多くはspecial pleadingにして、他人も強盗を働けることありとて自己の所為(しょい)の必ずしも咎(とが)むべからざるを主張せんとするは畢竟窮余の辞(ひっきょうきゅうよのじ)なり。
(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』P.227より引用)
加藤 松岡は外務省の宣伝担当として、講和会議中ものすごく苦労する。これは、彼の「正しくないことは引き合わないぞ」という悲鳴でしょうね。
1対1だと、無理や無茶が通ることも多いでしょう。でも多対1となったときには、正しいことは引き合うという例を歴史から学んでおく。あとは、正直に説明する。条文上、解釈が分かれそうなグレーゾーンだったらグレーゾーンに入った途端、「ここはグレーだけれど」と正直に説明する、武力やお金で押し切るのじゃなくて。
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1959年愛媛県生まれ。ノンフィクション作家。「人と時代」「21世紀の公と私」を共通テーマとして、政治、経済、近現代史、医療、建築など幅広く執筆。福島県を中心に被災地と永田町、霞ヶ関を対比的に取材。4月初旬、『
1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。89年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史。本企画で紹介している以外の主な著作には『徴兵制と近代日本』(吉川弘文館)『戦争の論理』(勁草書房)などがある。

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