「奥深き日本」

“洗える紙”の技を継ぐ深山の紙漉き場

「ついこないだは、サンフランシスコからわざわざこの山ん中に紙を買いに来たアメリカ人がいましたわ」

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2010年3月31日(水)

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 四国の山間は奥深い。よくもこのような場所に暮らしを結んだものだ、と寂寥とも飄然ともいえる風景に見入ることが、たびたび起こる。中学生の頃もそうだった。汽車で親戚の家を行き来するときの車窓の景色が思い出される。薄暮の山間に、ぽつん、と人家の灯りが灯っているのを見た。こんな山の中にも人が住んでいるのか…。どんな人が、どのような生活をしているのだろう…日暮れていく青い大気の中の、たった一つの電灯の灯りは、寂しさと同時に「家」が持ち合わせた温もりを感じさせた。

 徳島県南部の山間の集落を訪ねたこのたびも、そうした感慨を胸裏にかみしめることになった。

徳島県那賀町拝宮の集落は、霊峰剣山山懐に点在する。国道の赤い橋を渡り車のすれ違いができないような九十九折の道を上がっていくと、1本の山桜に迎えられた
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 那賀郡那賀町拝宮字轟。そこに和紙を漉く夫婦が暮らしている。団塊の世代にあたる中村功氏と妻の美千子さんのことを教えられたのは1年ほど前のことだった。山間の村で生まれ、都会に出ることもなく30年このかた紙を漉き続けている、というのだった。和紙には目が無い私は、折にふれて思い出し、どのような紙を産みだしているのか、いつか行ってみたい、と気にかけてきた。

紙布の作品。それらは素朴な美しさを秘め、近い将来、商品として世の中に出ていく日がくるはずだ
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中村夫妻の背後に、ぶら下がった和紙作品は数十年分におよぶという。おびただしい数が夫婦の来し方を物語る
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 拝宮(はいぎゅう)という地名にも惹かれた。那賀町は霊峰剣山の山懐に位置する。御山の験力を身内に取り入れる遥拝所が、標高400メートルの拝宮のどこかにあったのではないか、土地の名はそんなことを想像させた。そうすると、拝宮はもはや剣山の霊域であり、神聖な土地ということになる。

 山桜の開花に合わせて拝宮を訪ねることにした。

 国道195号線を那賀川沿いに遡って行く。阿南市の中心部から1時間ばかり走っただろうか、教えられた「劇的な赤い橋が目印になります」というアーチ橋がダム湖にかかり、それを山手へ折れる。急坂の山道は、車のすれ違いができないほど細い。娑婆との結界を越え「よくもこのような場所で暮らしを結んだもの」という集落へ、あと1キロという地点で1本の山桜に迎えられた。まだ若木であったが私を車から降ろした。

拝宮の山間の風景。家はきつい傾斜の山肌にへばりつくように建っている
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拝宮和紙として名を馳せた時代があった

 中村さんの紙漉き場は春の雨に濡れていた。意外なことに「よくもこのような場所」ではあるが、家屋の数は少なくない。谷の斜面にへばりつくように点在する。中村さんが住んでいる轟には10戸22人が暮らしているということだった。

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著者プロフィール

宮嶋 康彦
(みやじま やすひこ)

宮嶋 康彦

1951年長崎県佐世保市生まれ。写真家、作家。東京造形大学講師。『紀の漁師 黒潮に鰹を追う』(草思社)、『誰も行かない日本一の風景』(小学館)、『蛍を見に行く』『この桜、見に行かん』(文藝春秋)、『花行脚・66花選』(日本経済新聞社)、『たい焼の魚拓』(JTB)、『脱「風景写真」宣言』(岩波書店)、『写真家の旅―原日本、産土を旅ゆく。』(日経BP社)など著書多数。自身のホームページでは写真と文章を毎日更新。

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