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「稼ぐ主体」で「人が働く場」である企業の発展手段を構築する

【第26回】経済産業省 中原廣道氏《前編》

  • 佐藤 ゆみ

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2010年4月26日(月)

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佐藤 ゆみ(以下、佐藤) 中原さんとは札幌人会などでご一緒しました。

 さて、日本はこれから世界に類のない超少子高齢化社会に突入します。天然資源に乏しい我が国が、今後も外貨をこれまでのようにクルマで稼いでエネルギーや食糧を輸入するというスタイルがいつまで続くか分かりません。世界のどこかに倣うだけではなく、独自の新しいモデル作りが求められると思います。

 また、今後は世界戦略を持ち、20年後、30年後を見据えて着々と食糧や資源、技術獲得のための活動を繰り広げる中国との向き合い方も重要になってくるでしょう。今回はその点を中心にお尋ねしたいと思います。

中原 廣道(以下、中原) お久しぶりです。私は、育ちは千葉県ですが、生まれは札幌でしたので、札幌人会にお邪魔しました。後は、役人仲間の集まりなどでご一緒しましたね。

経産省のミッションは「国富の増大」

佐藤 そもそも中原さんが役人になられた動機は何ですか?

中原 廣道(なかはら・ひろみち)氏
1999年、通商産業省(現・経済産業省)入省。産業政策局総務課配属。2001年、大臣官房企画課配属。法令の審査や経済産業省の重点政策の策定作業等に従事。2003年、米タフツ大学フレッチャースクール留学。2005年、資源エネルギー庁資源燃料部政策課課長補佐。主に自動車用燃料へのバイオ燃料の導入について担当。2008年、経済産業政策局産業人材政策室室長補佐となり、現在に至る。(写真:佐藤ゆみ)

中原 そうですね。高校の頃、『坂の上の雲』などの司馬遼太郎の著作を読んで、当時のリーダーたちが、厳しい国際情勢の中で、それを肌で感じて、物事を成し遂げていく姿を見て、自分も「日本」という単位でモノを考えて行動したい、と思いました。

 ただ、私が生きている時代と当時は違うので、同じような仕事ができるのはどこだろうかと思い、考えたのが公務員でした。経済産業省は、当時は通商産業省でしたが、対外関係から国内の問題まで経済に関係すれば何でもやろう、という自由闊達な雰囲気があったので、国際社会に向き合いながら、いろいろな分野でチャンレジできそうだ、と思いました。今時は、流行らない青い志かも知れませんが(笑)。

佐藤 入省されて現在、何年目で、今までどのような部署を担当されてきましたか? 役所は異動が多いので、もう何カ所も経験されていますよね。

中原 かれこれ11年目になります。最初は産業政策局の総務課でした。次に大臣官房企画課という部署でした。その後、留学させてもらい、帰国後は、資源エネルギー庁で主に石油とバイオ燃料を担当しました。

 現在は、経済産業政策局の産業人材政策室という部署で、人材育成などの政策の企画立案を担当しています。

佐藤 11年で留学と4つの部署を異動されているのですね。この連載第2回の朝比奈一郎氏は「異動が多いと専門家が育たないのが問題だ」と語っていました。一方、第8回の北郷太郎氏はその逆のご意見でした。

 中原さんご自身はいろいろ異動されて経験を積んだ今、役所の異動人事システムについてどのように思われますか?

中原 私は、少なくとも若いうちは異動には意味があると思います。政策を企画立案していく中で、物事を様々な視点から見ていく必要があるからです。

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