私がアウディのデザイナーを辞め、日本でフリーになって丸1年が経過しました。仕事の仕方はこれまでとは大きく変わり、最近改めて自分1人だけでは生きていけないということをリアルに感じるようになりました。たとえ過去に認められた仕事や経歴があっても環境が変わればそのほとんどは役に立たず、これまでどれだけ周囲のおかげで仕事ができていたかということに気づかされます。自分がデザインをしていたのではなく、私を取り囲んでいた思いが私を動かしていたのです。
これはサラリーマン時代にはなかった感覚です。会社というコミュニティから離れ、多くの同僚や会社関係者という周囲の力に助けられることがなくなった今、そしてこれから、どのような人とどのような付き合いができるかが大きな鍵になると思います。フリーの立場でのコミュニケーションの問題です。自分が関わる相手とこころとこころでのコミュニケーション、思いを伝えていかなくてはなりません。
今回はコミュニケーションの始まり、「縁」の話をさせていただきます。
そもそもアウディで働くことになったのは、現在アウディデザインを統括する、あるデザイナーとの「縁」が始まりでした。彼との最初の出会いはまだお互いに若かった20年以上も前のロンドンでした。始まりは単なる偶然と思われたのですが、「縁」のある相手との間には不思議なほどにその後も何度も同じような偶然が繰り返されるのです。そして時間の経過とともに、相手と自分の間には絆が生まれてきます。私はこれまでこのような「縁」を信じてやってきました。
「思い」が出会いを意味あるものにする
昨年の夏、11年ぶりに帰国した私は一通のメールを日経ビジネスに送りました。アウディ在籍中にお世話になった多くのインタビュアーの中でも特に元気な印象が頭の中にハッキリと残っていた、ある女性編集者の方に帰国と独立のご挨拶をさせていただいたのです。間もなくメールが返信されてきました。「縁」のある人からの返事は早い。「日経ビジネスオンラインで連載をしませんか?」という誘いでした。
これからのデザインは外に向かってメッセージを伝えることが大切だと思い、そのための場を探していた私にとってはとてもありがたい話でした。その数日後には、日経BPの編集者並びにオンラインの編集者を紹介されました。日経ビジネスオンラインでデザイナーがコラムを執筆するのは初めての試みになるとのこと。クリエイターでなくてもクリエイティブなVISIONが大切であるということをこの場でわかりやすく伝えていきましょう、ということで始まったのが本コラム、『未来の日本をデザインしよう』です。
連載がスタートして数カ月後、読者を招いて講演会をすることになりました。決して大きな講演会ではなく、勉強会のような感じでした。参加者はかつて一緒にEVを創った仲間、クリエイターの友人、日産時代から私のデザインを応援してくれている方、そして私のコラムを読んでなぜか勉強会に来てしまった方々。あの日、あの勉強会に集まった皆でひとつのVISIONが共有できたのではないかと思っています。未来へのVISIONです。講演会後、沢山のメールが届きました。エールを送ってくださる方、一緒に仕事をしようと言ってくださる方。この「縁」でいくつものお付き合いが始まりました。
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デザイナー、SWdesign TOKYO代表、Audi Design Partner。1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒。84年日産自動車入社。シニアデザイナーとして、初代セフィーロ(88年)、初代プレセア(89年)、セフィーロワゴン(96年)などの量販車を担当した。89〜91年、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート留学。日産勤務時代最後の作品として電気自動車のハイパーミニをデザインした。98年、アウディAG/アウディ・デザインへ移籍。シニアデザイナー兼クリエーティブマネジャーとして、現行のA6、Q7などの主力車種を担当した。アウディのシンボルとも言えるシングルフレームグリルをデザインし、その後「世界でもっとも美しいクーペ」と評されるA5を担当した。そのほかAudi Pikes Peak Quattro、Audi Avantissimoなどのショーカーも担当した。2009年6月アウディから独立。自身のデザインスタジオ「







