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“大国”の仲間入りしたのは100年前~「日本型システムはどこで生まれた?」

「日本人って何?」に答えるための「超・近代史」(後編)

2011年2月1日(火)

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 ニッポンとは何か? それを考える材料として、私なりに明治以降の歴史を振り返っています。前回は、明治以前の時代も含め、そもそも日本がなぜこのような歴史をたどり今のような社会・文化的特徴を有する国となったのか、から考え、1910年、ちょうど100年前まで辿りました。100年前に、日本は途上国から脱しました。そしてそれ以降の100年、現代にいたるまでに何が起きたのでしょうか・・・今回はそれを駆け足で見ていきたいと思います。

遅れて来た近代国家の歪みによる破綻

 日露戦争から満州事変辺りまで、大日本帝国は最も幸福な時代を迎えていました。しかし、権謀渦巻く世界にあって、最も遅れて列強入りした真面目で幼稚で余裕が無い日本は、軍国主義化に歯止めをかけるガバナンスとリーダーシップの欠落で、無謀な戦争に突入しそして敗戦に到りました。

 帝国主義の世界の中で、日本はその生命線を「大陸」に求めました。ロシアの南進を食い止めるための朝鮮半島をめぐる戦争であった日露戦争に勝利したことで、日本は朝鮮を併合し初めての本格的な植民地経営に乗り出しました。欧州が第1次世界大戦の戦乱に明け暮れる中、満州を中心にした中国への侵略を進め、革命で混乱するロシアでも反革命勢力を支援するという名目で、シベリア出兵では野心的に諸外国に比べはるかに多くの兵を送り、何の見返りも得られずに損害を出しつつ他国の領土を混乱に陥れただけでした。

 政治や社会は一定の進化を遂げ、大正デモクラシーと呼ばれる政党政治や成人男子による普通選挙が実施されるに至りました。1911年における不平等条約の解消からおよそ20年の間、日本はさしずめ小春日和と呼んで良い状態にあったと言えるでしょう。

1930年の日本と世界主要国の人口及びGDP
国名 人口(1000人) 購買力平価GDP
(1990百万国際ドル)
一人当たりGDP
(1990国際ドル)
中国 489,000 277,752 568
インド 36,400 26,426 726
日本 64,203 118,776 1,850
ドイツ 65,084 258,579 3,973
アメリカ合衆国 123,668 768,349 6,213
イギリス 45,866 249,557 5,441

Angus Madison(故人)のホームページより

 1930年に入ると、軍人を中心に「構造改革」の声が高くなってきました。当時の社会で、厳しい環境ではあるが年齢の若い段階で給与を貰うことができた職業軍人志望者は相対的に貧しい者が多かったので、より社会の矛盾に関して敏感でした。天皇を頂点とした日本の国体と全く相容れない共産主義への嫌悪と恐怖もあり、若手が中心に引きずる暴力装置と化した日本軍は、そのネガとしての国家社会主義的な方向へと日本を向かわせて行きました。

 西欧的な民主主義に対してこのような嫌悪と恐怖を、現在の中国共産党の一部および共産党の軍隊である中国軍は感じているかもしれません。

 いっぽうヨーロッパでは既に、帝国主義のほころびが目立ち始めていました。帝国主義の象徴である大英帝国では、第一次世界大戦の勝利にもかかわらず各地で独立に向けた民族運動や紛争に直面し、帝国主義に対する批判的な世論は徐々に高まっていました。

 日本は大きな時代の流れに逆らうように満州事変から満州国建国、そして八紘一宇の精神に基づく「大東亜共栄圏」の幻想に向けて突き進みました。大局観を持った国家としての戦略を時代の流れの先に描く人たちは、息をひそめて見守る事しか出来なかったのでしょう。

 満州事変から満州国建国、軍による幾多のクーデター未遂に1つの大きなテロと呼んでも良いクーデターの失敗の間、ジュネーブの総会で国際連盟脱退を流暢な英語で宣言して来た全権・松岡洋右を、国民は喝采で迎え、日本のマスコミは大日本帝国は「名誉ある孤立」を選択した、と論陣を張りました。

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「“大国”の仲間入りしたのは100年前~「日本型システムはどこで生まれた?」」の著者

大上 二三雄

大上 二三雄(おおうえ・ふみお)

エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社 代表取締役/北九州市 参与

1981年東京大学工学部を卒業後、アンダーセンコンサルティング(現:アクセンチュア)入社。企業の戦略、オペレーション、IT、アウトソーシングを中心にしたさまざまな企業改革に従事。事業開発グループ統括パートナーとして事業開発・ベンチャー投資の責任者を務めた後、2003年に退社。現在、エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社代表取締役。他に北九州市参与、立命館大学MBA客員教授、東京大学EMPアドバイザー、ISL幹事などを務める。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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