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日本は再び、「新商品」を産み出せるようになるか(後編)

古河鉱業からファナックまで~確率や期待値を超えた夢を持つ人たちとは

2011年3月17日(木)

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前編から)

 いま日本が明治維新以降140年以上かけて進めてきた軽工業から重工業に到る近代工業化を、中国は僅かこの20年の間に日本の技術や資本を活用しつつ、華僑ネットワークを使い溢れる世界の資本を上手に引き寄せ活用しながら、各分野同時並行的に猛烈なスピードで進めて来たといえます。かつて1800年代から1900年代にかけて、押し寄せる帝国主義諸国に良いように食い物にされた経験を、反面教師として充分に活用したのでしょう。

 明治維新からの日本近代産業史を手繰ると、それまでの伝統的技術の上に西欧から導入された技術が上乗せされた流れがあります。

 最も初期から発展して行ったのは、鉱業からの流れです。換金性が高い優良な鉱山を所有していれば、稼いだ外貨で海外から開発法を始めポンプ、掘削、製錬、発送電、機械加工などおよそ考えられるありとあらゆる技術を購い、次にその技術を国産化して行くことで新しい事業を産み出すことが出来たのです。石炭と銅は、コンスタントに輸出の10%近くを占める外貨獲得の優等生でした。

 明治時代、日本は諸外国に土地の租借は認めず、鉱業権その他由来の権利を海外からの借金に対して抵当に出すことはしませんでした。また、鉱山で稼いだ資本家たちは、その富に安住するのではなく、次の産業を開発するための投資を行いました。近親主義や自己利益に走り「国を売る」指導層を持った結果、半ば植民地のようになってしまった国も多かった中、我々の先祖は富国強兵のスローガンを国として掲げ、決して安易な途に陥りませんでした。

 結果、鉱物資源という地球から人類への贈り物を土中より掘り出し続けることで、産業化の初期段階に於いて多様な技術を扱い価値の拡大再生産を行う鉱業は、我が国の中に幾つもの財閥、コングロマリットを産み出して行きました。資源に恵まれた多くの国々で出来なかったことを、我々の先祖は成し遂げたのです。ここでは、そのようなコングロマリットの1つである古河グループに関して、その源流である古河鉱業からFANUCに至る流れを見ながら、

 そこに至る迄の成功要因、そして今日における課題を、歴史、産業、そして企業組織の観点から俯瞰しつつ、議論して行きたいと思います。

 古河鉱業の祖は古河市兵衛、出は京都の商家であった者が高利貸の手先や勤務先の倒産など苦労しながら、才能もあったのでしょう、良い養子の口に恵まれました。ちなみに、江戸時代までの封建制度の社会に於いて、基本的に職業は世襲でしたが、実子が居ない場合は当然のこと、実子が居ても才能に欠ける場合にはその実子を他家に養子で出した上で、能力がある養子を娶ることは良く行われたようです。封建制度における知恵は、中々したたかです。

 市兵衛は、勤務先であった小野組が倒産した際、潔く会社の整理を行い自らの私財をすべて提供し無一文になりました。その後市兵衛は、それを見込んだ渋沢栄一の資金援助を得て、足尾銅山を始めとする幾つかの鉱山経営に乗り出し近代化に成功したことで古河財閥を誕生させました。

 市兵衛は陸奥宗光にも大いに気に入られ、その二男を養嗣子として娶りました。そして、政党政治家として初の首相になった原敬は、抜群の政治的センスを活かし外務官僚に採用された後、古河の二代目社長に就任したその養嗣子古河潤吉に、同じく彼を引き立てた陸奥宗光の縁で請われ、その時期古河鉱業会社の副社長を務めていました。

 同時に伊藤博文が設立した立憲政友会の初代幹事長にも就任していた彼は、その後西園寺内閣の内務大臣に就任したことで古河鉱業を離れます。

 当時、有為の人材は政産官の各領域でリボルビングドアを通して行き帰しつつ育っていたことが、このような例で良く判ります。

 今の日本ではこの政産官の壁が高く、最近は交流まで厳しく制限されるようになって来ています。この壁の弊害が、現代日本のリーダーシップにおける問題の主たる原因の1つであることを考えると、このような産官政の人材交流を積極的に進めて行くこと、一考の余地があると思われますが如何でしょう?

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「日本は再び、「新商品」を産み出せるようになるか(後編)」の著者

大上 二三雄

大上 二三雄(おおうえ・ふみお)

エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社 代表取締役/北九州市 参与

1981年東京大学工学部を卒業後、アンダーセンコンサルティング(現:アクセンチュア)入社。企業の戦略、オペレーション、IT、アウトソーシングを中心にしたさまざまな企業改革に従事。事業開発グループ統括パートナーとして事業開発・ベンチャー投資の責任者を務めた後、2003年に退社。現在、エム・アイ・コンサルティンググループ株式会社代表取締役。他に北九州市参与、立命館大学MBA客員教授、東京大学EMPアドバイザー、ISL幹事などを務める。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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