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記者が歩いて帰った20km

脆弱な首都「TOKYO」を実感

  • 白壁達久(日経ビジネス記者)

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2011年3月12日(土)

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 建物の倒壊などは少なく、人的被害も多くはなかった東京だが、交通機関のマヒで帰宅難民が続出。今回の被災で、災害時の「別のもろさ」を露呈した。命の危険は少ないが、帰宅難民もまた、れっきとした震災被害の1つである。記者が歩いて感じた被災の現状を、今後の対策に生かしていただければ幸いに思う。

バスは、すでにぎゅうぎゅう

 脆弱な首都、TOKYO――。

 亡くなったり怪我をされたりした方が出たとはいえ、東京の被害は震源地に比べれば、数段軽いものだった。それでも、交通機関がストップするだけで、人は動く術を失ってしまい、身動きが取れなくなってしまう。帰宅難民が数万人出たと報じられたが、彼ら彼女らは、まさに自分の「無力さ」を痛感する1日だったに違いない。
 記者である私も、その一人だった。

【13:45】

 取材で、東京駅横の「グランドトウキョウサウスタワー」へ。
 ところが、取材時間を1時間早く間違えてしまったことに気づく。道向かいにある八重洲ブックセンターで取材用の資料を探しに出かけた。偶然にもそこで「古地図即売フェア」が開催されており、江戸と大坂(当時)の古地図を数枚買い、再び訪問先のビルへ戻った。アポイントまで時間があったため、買ったばかりの古地図を広げて、当時の宿場町を見ていた。東海道では品川や川崎、甲州街道では高井戸などが江戸からの最寄りの宿場町だ。

 「1日でここまで歩くなんて、江戸の人でないと無理だなぁ」。

 そんな思いをはせていた14時46分。建物が大きく揺れ始めたのだ。アポイントの相手はビルの23階。エレベーターは停止していて、動く気配がない。外線電話も通じず、受付の女性に伝言するが、この日に取材など、とてもできそうにない。日程を変更してもらい、東京駅へ向かった。

 自動改札機は電源を切ってあったのか、出入り自由状態だった。構内には電車の運行再開を待つ人々であふれかえり、優雅にお弁当を広げる高齢者の団体も。しばらく待てば、どうせ動き出す――。きっと、みんなが思っていた。だから駅に留まる人は増える一方だった。

 しばらくすると、普段は運行情報を流すモニターが、地震情報を流すテレビに切り替わると、人々はかつての「街頭テレビ」のように眺めるしかなかった。仙台の津波を映しだし、千葉での製油所火災が放送されたときには、「今日はずっと電車が動かない」と思いはじめた。

【17:05】

 「もし、電車が動き出しても、歩いて帰ろう」
 そう決めたのは、11日の震災よりもさらに激しいダメージを受けた場合に、本当に歩いて帰れるかを試したくなったからだ。東京駅から外に出ると、やはりまだすべての電車が止まっており、タクシーの多くが「回送」の札を掲げて素通りしていた。唯一動いていた交通機関のバスは、すでにぎゅうぎゅう。それでも、一縷の望みをかけて数千人が列を作る。

 網の目のように張り巡らされ、発達した交通機関に慣れた都心の人たちは、どこかの路線が止まっても、振り替えの電車やほかの代替交通機関があるとたかをくくってしまいがち。だが、11日に限っては、そのすべてが塞がれた状態だった。

【17:42】

 歩いて帰るといっても、自宅のある吉祥寺までは約20kmの道のりがある。長い戦いに備えて、途中でコンビニに寄ることにした。店内は半ばパニックになった人たちが、ケータイの充電器とおにぎりなどの食料を買い求めていた。歩きはじめたときはまだ日が残っているが、そのうち陰って寒くなる。「貼るカイロ」と「貼らないカイロ」をそれぞれ2つずつと、温かい飲み物、ソーセージを買った。

コンビニでは、おにぎりやサンドウィッチなどの商品は早々に売り切れた
ケータイの充電器もすぐになくなった

 東京駅から皇居のお堀に沿って歩き、国会議事堂やら自民党本部を横切る。皆がうつむき加減で歩くなか自民党本部には黒塗りの車が騒然と並び、運転手が扉を開けて議員先生を待っている。それを横目に、人々は黙々と歩き続ける。

「帰宅派」が集結した靴屋とコインロッカー

【18:05】

 麹町から新宿通りを西に向かって歩き続ける。
 地震で早めに閉店した店もあれば、ファストフードを中心に営業を続ける店も多い。
 「しばらく飲んでいれば、電車はすぐに動き出すだろう」と言って飲み屋に入る人も多くいた。

 ケータイのワンセグで被災地の現状や首都圏の交通機関の運行状況を確認する人が多くみられたが、新宿に着くころには大幅に減った。電池の消耗量を気にしたのだろう。現状を確認する人は、家電量販店を、やはり「街頭テレビ」のように群がって眺めていた。

 この頃、東日本旅客鉄道(JR東日本)が首都圏の鉄道運行について、11日中は再開しないと発表。「動き出すまで気長に待つ」を主張していた人たちは、一気に「帰宅難民」となってしまった。

【19:16】

 新宿の家電量販店の店頭では、ケータイの充電器をワゴンで売り出し、客が殺到。その横では、バスを待つ人たちでごった返していた。

家電量販店でケータイ充電器を買う人
バス停に並ぶ人たち

 帰宅難民たちは、どうするのか。気になった私は、少し脱線して人々の動きを取材した。歩いて帰ることはできない人は、当日の宿探しに奔走した。カプセルホテルを備えたサウナ、カラオケは受け付けですでに長蛇の列ができており、「本日満室」という張り紙が早々に張り出された。

 24時間営業の漫画喫茶には、日頃は使わないであろう高齢者の姿も。だが、「席は既に満席で、空く見込みはない」という店員の言葉に、ため息をつきながら立ち去った。

カプセルホテルの受付にも行列が
漫画喫茶も人があふれる
靴屋では女性を中心にスニーカーを求める人が殺到

 「帰宅派」が集結したのは、靴屋とコインロッカーだ。女性の多くが、長距離を歩くことを想定していないヒールやブーツをはいており、スニーカーを探し求めて靴屋に駆け込んだ。会社帰りの20代女性は「デザインなんかどうでもいい。サイズの合うスニーカーであれば…」と店員に注文。革靴で働く男性にとっても、やはり長距離で歩くのは負担が大きい。レジは会計を待つ人たちでごった返していた。

 ヒールやブーツ、そして当日は要らない荷物をロッカールームに預ける人も目立った。これからの長距離歩行に備えて、ムダな重さは負担になるだけと考えたのだろう。だが、そのコインロッカーもすぐにいっぱいになる。出遅れれば、傘やパソコンといった重たい荷物を抱えて帰らなければいけない。


【19:31】

青梅街道を歩く人たち。黙々と、家路を急ぐ。人が車道にまであふれかえっていた

 青梅街道に入り、ひたすら西へ、同じように徒歩で帰る人と黙々と歩く。あまりの人の多さに、車道を歩く人も出てくる。今日が卒業式だったのだろう。袴を着て、記念品と思しき大きな荷物を持って歩く女性の姿も垣間見られた。

 スマートフォンの電源が切れる。流行りに乗った自分が悪いのか、と自戒の念。ケータイがなくなると、ものすごい不安に駆られてしまう。情報を探したり、非常時に誰かと連絡したりできない不安は、地震という直接の恐怖とは違う、今まで体験したことのない別の恐ろしさだった。

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