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「海がある限り不滅だ」がんばれ気仙沼

【番外編】港町の復興にかける船頭、そして市長

  • 樫原 弘志

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2011年3月22日(火)

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震災前の気仙沼の魚市場周辺。気仙沼湾は普段、波も静かだ。
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 宮城県議会議長として、いま被災地の状況把握、救援のため県庁と連絡を取りながら奔走している気仙沼市出身の畠山和純(かずよし)県議は自らも被災者である。魚市場に歩いていける同市中心部にある自宅は津波で流された。

 1960年のチリ津波は生家のある唐桑半島の鮪立(しびだち)で体験した。

 「裏山に行けといわれて逃げた。海の底がみえ、日が当たって真っ赤に見えた。見てはいけない恐ろしいものを見てしまったような気がした」

 昨年、気仙沼を訪ねた時、その生家まで案内してもらった時、そんな思い出を語ってくれた。「恵比寿棚」の屋号で知られ、自宅前に300トン級の大型マグロ漁船も着岸できたという豪壮な屋敷である。しかし、それも今回の大震災と大津波では「一番先に流されてしまったようだ」という。普段から津波への警戒を怠らない教育を受けてきた畠山さんにとっても「想像を絶する状況。いまだ途方に暮れている」というほどの大惨事である。

「…も流されている」「…地区は家が無くなった」

小松正文さん(左)は年に1度、ひと月ほどの里帰りで友人や同僚と食事をするのが何より楽しみだった

 「気仙沼はどうなってるんだ?」「家族は大丈夫か?」

 インド洋で操業している遠洋マグロはえ縄漁船「第8昭福丸」の船頭、小松正文さんは、郷里・宮城県気仙沼市を東日本巨大地震が襲ったその日、燃料などの補給のためバリ島に向かっているところだった。

 大地震や大津波の様子を日本から洋上の漁船に伝えてくれるファクシミリ新聞や海外向けのNHKラジオ放送で知った。

 「おふくろは足が不自由だ。津波から逃れただろうか」

 小松さんは心配になって、衛星電話を試みるが、気仙沼にはつながらない。新潟に嫁いだ娘さんのところに電話をして、テレビが伝えている気仙沼の様子を聞いた。

 「…も流されている」
 「…地区は家が無くなった」
 「…で火災が発生している」
 
 故郷・気仙沼を支えてきた加工業・農漁業・商店・船舶関係の仕事場が津波でほとんど根こそぎ流されてしまった現実。小松さんは「先祖たちが苦労を重ねて築き上げてきた山に囲まれた港町は一瞬にして崩れ去って、瓦礫の山になってしまった。

 「こんなにも人間の造ったものは、自然界から見れば脆いものか」

 小松さんは愕然とする。早く家族や親戚・友人・知人の元へ行ってやりたいという気持ちが湧いてくるものの、遠く離れていて実際には何もできない。「自分の無力さに悔しさが募るばかりだった」という。

 日が経つにつれ、間接的ながら関係者の安否が徐々に伝わってくる。

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