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復旧支えたドライバーの矜持

ヤマト運輸の10日間

  • 佐藤 央明,吉野 次郎,瀬戸 久美子

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2011年4月13日(水)

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電気やガスが通わぬ営業所で、ヤマト運輸が業務を再開した。いち早い復旧の原動力となったのが、自発的に行動した現場の社員たち。彼らを突き動かしたのは、ライフラインを担う者としての使命感だった。

 宮城県石巻市の漁港に程近い渡波(わたのは)地区。近くの大型スーパーには津波で何台ものトラックが突っ込み、流れ着いた民家に人影はない。道路からは辛うじて瓦礫は取り除かれたものの、3週間たった今なお、震災当時の惨状をそのまま残している。

 4月1日、焦土と化したこの地で、ヤマト運輸の石巻渡波センターが営業を再開した。電気やガスは通っておらず、所内は屋根を残すのみ。それでも渡波センターと同居する、湊センター長の千田成彦氏は明るく話す。「雨さえしのげれば作業はできる。午後6時ぐらいには暗くなってしまうので、それまでに仕事を終えなければいけないが」。

(写真:村上 昭浩)
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瓦礫の中から見つけた看板

 店の入り口の前に、旧名の「石巻東営業所」という小さな看板が立てかけてあった。「石巻支店長が『俺が瓦礫の中から掘り出したんだ』と自慢していました」と千田氏は微笑む。忙しく働く彼の横では、荷物を積んだトラックが、静かに出発の時を待っていた。

全国から応援部隊が駆けつけた蛇田センター。石巻市の拠点として通常の4倍の荷物を請け負った(写真:村上 昭浩)

 渡波センターが復旧するまでの11日間、補完したのは石巻市内でいち早く営業を再開した近くの石巻蛇田(へびた)センターだった。5営業所分の荷物を一手に引き受け、通常なら取扱量が1日800個程度のところ、3000~3200個をさばいていたという。北信越、関西などの営業所から駆けつけたヤマトの社員が、全力で蛇田をサポートする。

 蛇田センターにある、ほとんどすべての荷物は被災地・石巻に届いたもの。親戚に食べ物を届けたい、親友に温かい衣類を着せたい。一つひとつに、全国の人の思いが込められている。

 石巻東営業所の看板を見つけた阿部浩・石巻支店長は言う。「自宅や避難所に荷物を届けると、返ってくるのは一様に喜びの声。物流は電気や水道と一緒。同じインフラなんです」。

社員が自発的に燃料を調達

 ヤマト運輸の復旧への道程は決して平坦ではなく、暗中模索の連続だった。

 震災直後に対策本部を立ち上げたものの、通信はすべて遮断され、社員の安否確認すらままならない状況。とにかく実態をつかまなくてはならない。3月13日の昼、何としてでも現地に行こうと、本社の先遣隊がクルマで向かった。一方、同社の木川眞社長(当時)ら幹部は連日本社に詰め、各部署が直面する問題をすべて吸い上げ、現場に伝える役割を担った。

 一刻も早く、被災地に荷物を届けたい。そんな切迫した願いの前に立ち塞がったのは、燃料の問題だった。

 ヤマトは自社のガソリンスタンドや燃料を扱う子会社を保有している。これらの残量を調べたところ、備蓄可能量の70%程度しかない。しかも継続的に燃料が入ってくる可能性は限りなく低い。通常通りにクルマを走らせていては、すぐに底を突くのは明白だった。限られた燃料をどう振り分けていくか。通常の宅急便では1日往復4回トラックが行き来する。これを減らしながら最低限のレベルを保つ必要がある。出した結論は、顧客に直接配送する宅配を見送り、店頭で受け渡しをする方法だった。

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