「脱・幼稚者で行こう!」

「科学だけでは答えを出せない問題」に、普通の人はどうすればいい?

『科学は誰のものか―社会の側から問い直す』の平川秀幸・大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授に聞く

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2011年5月20日(金)

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科学は誰のものか―社会の側から問い直す』平川秀幸著、NHK出版生活人新書

 東日本大震災と福島第一原子力発電所の大事故は、巨大科学技術の抱える問題を「自ら考えるべき切実な課題とせよ」と我々に突きつけている。だが、専門家でも意見が割れ、日々の生活にどうしても意識を取られる私たちには、どのような思考、議論がありえるだろう。

 社会、そして「素人」である我々は科学とどうやればうまくつき合っていけるのか。科学技術はどうガバナンスされるべきなのか。この難題を、「科学技術社会論(STS)」を専門とする、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授の平川秀幸氏に聞いた。


※編集部より
前回掲載し大きな反響をいただいた浅川芳裕氏の記事(「日本の野菜は“ユニクロ”より強い」)は、後編を準備しておりましたが、今回の震災の影響を踏まえ、内容を全面的に見直すこととなりました。掲載予定は未定です。お待ちいただいていた方々に、お詫び申し上げます。

―― ご専門の「科学技術社会論」とは、どのような学問なのでしょうか?

平川 科学技術自体は理系に分類されるものですが、科学技術と社会との関わりについては、人文・社会科学系の議論が必要になります。新しい科学技術はどのように生み出され、社会のなかで使われるのか、その結果、社会にどのような影響がもたらされるのか。あるいは、政治や経済の力は、科学技術にどのような影響を及ぼしているのか。こうした事柄を、社会学や政治学、経済学、歴史学、倫理学、哲学、教育学などの学問を総動員して、学際的に研究していこうというのが科学技術社会論です。

―― 「科学哲学」と呼ばれるジャンルもありますね。

平川 ええ、科学技術社会論の母体は科学哲学や科学史、それと科学社会学なのですが、それらがだんだんと融合していきました。科学史は、歴史的に古い事象、たとえばガリレオやニュートンに代表される17世紀の科学や、新しくても20世紀中頃くらいまでの科学を扱ってきましたし、科学哲学は、科学技術が影響を及ぼす社会の問題には目を向けてきませんでした。それに対して、より現代的な、世の中で実際に問題となっているような事象、たとえば原子力や遺伝子組み換えなどを議論しているのが科学技術社会論です。

 最近ですと合成生物学が問題になっているのですが、これは一からDNA、遺伝子の配列を設計して新しい生物をつくろうとする研究です。これは下手をすると、バイオテロのテクニックとしても使えてしまうし、そうでなくとも、医療目的やバイオ燃料の生産用に開発したけれども、まったく意図しないかたちでとんでもない生物ができてしまうかもしれない。そこで、そうした研究の安全性をどう確保するかということや、そもそもそうした生物を人間がつくっていいのかという倫理的な問題などが、現在、大きな議論となっています。

 このような、現在の世の中で問題になっている技術や科学をテーマにするという点が、これまでの科学哲学や科学史なんかと違うところですね。

―― 科学学技術社会論は新しい学問なんですね。

平川 1970年代にヨーロッパやアメリカで登場した学問です。日本では遅れて90年代ですね。

日本の「安全神話の崩壊」は1995年から

―― そのような学問が生まれた背景は?

平川 欧米では1960年代から70年代にかけて、世の中の価値観がラディカルに変わりました。具体的には環境問題や核の問題が浮上し、アメリカでしたらベトナム反戦運動があったりするなかで、従来の科学技術万能主義が否定されていきました。いわゆる物質主義的な文明が疑問視されていき、非物質的な新しい価値観がでてくる。

 そうした変化に応ずるかたちで、科学技術の成果を無批判に受け入れていたそれまでの態度に反省が生じました。ちょっと待てよと、そう素直に社会が受け取っているばかりでいいのかと。その反省のための学問的な営みの一つとして、科学技術社会論というのが出てきたという流れです。

――科学については素人だから「専門家に丸投げ」。それではだめなんじゃないかとなってきたんですね。

平川秀幸(ひらかわ・ひでゆき)
1964年生まれ。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授(科学技術社会論、サイエンスショップ代表)。専門は科学技術のガバナンス論。「市民と科学者の熟議と協働」をすすめるプロジェクトの研究代表者を務める。(写真:大槻純一)

平川 日本でもそうした動きは、60〜70年代に水俣病などの公害問題が深刻化したのを背景に、科学史家や思想家、現役の科学者のあいだで現れましたが、科学技術社会論として動きが生ずるのは90年頃です。とくに画期だったのは95年で、それ以降、科学技術社会論に取り組む若手研究者が徐々にふえ、行政からの注目も集まるようになりました。

――なぜ95年だったのでしょう。

平川 この年は、「安全神話の崩壊」ともいわれるような、科学技術と社会の関係を揺さぶる大きな出来事が相次いだからです。

 まず1月に阪神淡路大震災が起きています。実は、ちょうど1年前にロサンゼルスでも大地震があって、たくさんの建造物が倒壊しました。そのとき日本政府の調査団は、日本では絶対にあんなことは起こらない、日本の建築は安全だと豪語したんですね。ところが、阪神淡路大震災で高速道路が見事に崩れ落ち、それがウソだと明らかになった。

 さらに95年は地下鉄サリン事件が起こった年でもあります。理工系のエリートたちがサリンを製造し、撒くということをやってしまった。この事件で日本の科学界では、科学教育がどこかで間違えたんじゃないか、人間として大事なことを教えてこなかったんじゃないかという反省が生じました。わたしがいる大阪大学の理学部は村井幹部を出したところなんですが、その結果、理学部と基礎工学部合同で科学と社会をテーマにした授業が必修科目になりました。

 また、95年は高速増殖炉「もんじゅ」の事故が起こった年でもあります。それまで行政や専門家は「原子力は絶対に安全だ」といっていたのが、この事故によってその信頼性が大きく揺らぎました。さらに1997年に東海村でも核燃料の再処理工場で火災事故が起き、1999年にはJCOの臨界事故が起きたりするなかで、行政の態度もだんだん変わっていきます。「原子力安全白書」にも、絶対な安全はない、リスクは必ずあるんだと、はっきり書くようになりました。

―― 今年との暗合が感じられます。日本ではこのころから、人類に進歩をもたらす善きものとして歓迎されていた科学が、社会に危害をもたらすリスクを孕んだものとみなされるようになってきたわけですね。

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著者プロフィール

芹沢 一也(せりざわ・かずや)

1968年東京生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。SYNODOS代表。専門は近代日本思想史、現代社会論。犯罪や狂気をめぐる歴史と現代社会との関わりを思想史的、社会学的に読み解いている。著書に『<法>から解放される権力』(新曜社)。『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』(ともに講談社+α新書)、『暴走するセキュリティ』(洋泉社新書)、浜井浩一との共著に『犯罪不安社会』(光文社新書)、編著に『時代がつくる「狂気」』(朝日選書)。高桑和己との共編著に『フーコーの後で』(慶應義塾大学出版会)。監修に『革命待望!』(ポプラ社)。



このコラムについて

脱・幼稚者で行こう!

 「誰かのせいにする。そこで考えを止める」−−我々はつい、こうした「幼稚」な道筋にはまってしまう。そこから抜けて冷静な議論をするには、あらかじめ知っておきたい、考えておきたい材料や課題がある。しかし、それらは研究機関や専門家の中では常識でも、メディアに分かりやすい形で出てくることがなかなかない。
 この企画は、若手研究者をつなぎ、「知のプラットフォーム」を謳うグループ、SYNODOS(リンクはこちら)を主催する芹沢一也氏に、アカデミックの先端で活躍する若手研究者と我々を接続してもらおうというものだ。現代の中で求められる「知」を、くだけた対話によって手に入れ、「幼稚」から脱出する手がかりをつかもう。

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