――スティーブ・ジョブズの死をどのようにして知ったのか。

コトキ:この家にいた時だ。息子が私の部屋にかけこんで来て、「スティーブ・ジョブズが亡くなった」と教えてくれた。テレビをつけたら、そのニュース一色だった。
――彼の死を知った時、最初に脳裏に浮かんだことは?
コトキ:もっと生きてほしかった。奇跡が起きてほしかった。あれだけのお金があったのだから、最高の治療を受けることができたはずだ。私の一部は、彼にあと何年も生きてほしいと思っていた。
――ということは、そういう気持ちだけではない、非常に複雑な気持ちだということか。
コトキ:その通りだ。「sadness mixed with relief」(安堵感が混じった悲しい気持ち)という表現が最も適切だと思う。私はスティーブが好きだし、昔は兄弟と同じように思っていた。感謝の気持ちもある。私はアップルに対して、良い仕事をしたと自負している。
私は「私が彼を裏切った」と彼が思っていたことを非常に残念に思っている。彼がそう思っていたことに何年も気づかなかった。気づいた時にきちんと謝ったが、彼にとっては十分ではなかったようだ。「もし私があなたのプライバシーを侵害したとしたら、心から謝る」と言ったが許してはくれなかった。
――それはどういうことか。
コトキ:スティーブは1982年のTIME誌のMan of the Yearの候補に挙がっていた。それを担当している記者から突然電話がかかってきて「リサはジョブズの子どもか」と聞かれた。「そうだ」と言った瞬間、電話を切られた。リサは、スティーブが高校生の時に、ガールフレンドとの間にできた子ども。私は誰もが知っている事実だと思ったので、そう答えただけだった。まだ世間に知られていないことだとは思わなかった。
それが原因でジョブズはMan of the Yearに選ばれなかったようだ。そのことをジョブズは許さなかった。私の発言が原因だったということを何年もたってから知った。それを知った時、今、言ったように謝罪したが受け入れてはもらえなかった。
ストック・オプションはもらえなかった
――そもそもジョブズ氏とどこで知り合ったのか。
コトキ:オレゴン州ポートランドにあるリード大学の1年生の時だ。彼は非常に長い髪をしていて、シャイな学生だった。TEACというブランドの大きなテープデッキを持っていることで、寮中に知られていた。ボブ・ディランのテープもたくさんもっていた。
ラム・ダスの“Be Here Now”という瞑想ガイドの本を彼も私も持っていて、すぐに友達になった。この本をきっかけに一緒にインドにも行った。一緒にキャンプに行ったこともある。彼はコンピューター・ゲームを開発するアタリでアルバイトをしていたので、旅費を貸してくれた。
――ジョブズは大学をすぐに辞めている。講義は受けていたのか。
コトキ:受けていた。大学の学長と仲良くなり、ただで聴講することを黙認してもらっていた。当時から彼は人を説得するのが得意だった。
――大成功したアップルに対してどう思っているか。
コトキ:アップルがガレージ会社としてスタートして、生き残ったということ自体が、私には予想できなかった出来事だ。
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