• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

北方領土問題の打開に一段のハードル

ロシア下院選挙、与党・大幅議席減の影響とは

  • 畔蒜 泰助

バックナンバー

2011年12月7日(水)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 2011年11月4日、ロシア下院選挙が実施された。

 プーチン首相を党首に戴き、メドベージェフ大統領を比例名簿の第1位に据える与党・統一ロシアが、2007年の下院選挙で獲得した憲法改正可能な圧倒的過半数の315議席(得票率64.3%)から、いわゆる単純過半数の238議席(得票率49.6%)へと大幅に議席を減らした。

 その一方で、野党の共産党が40議席(同11.6%)から92議席(同19.2%)、公正ロシアが38議席(7.7%)から64議席(同13.2%)、自由民主党が40議席(同8.1%)から56議席(11.7%)へとそれぞれ議席と得票率を伸ばした。同選挙は完全比例代表制で450議席を争うが、得票率7%以下の政党は切り捨てられる。

 来年3月にはロシア大統領選挙も控える中、今回の選挙結果をどう評価し、今後のロシアの国内政治ならびに対外政策、特に日露関係にどのような影響を与えると見るべきだろうか。

 そもそも2007年の下院選挙において、統一ロシアが何故、315議席も獲得出来たのか、その背景を確認しておく必要がある。

前回の下院選挙は与党に強烈な追い風

 連邦保安庁(FSB)長官を務めていたプーチンが首相代行としてロシア政治の表舞台に一躍登場したのは、エリツィン政権末期の1998年である。その当時のロシアは金融危機や第2次チェチェン紛争が立て続けに勃発しただけでなく、エリツィン大統領の健康問題やロシアの政治経済を半ばコントロールしていた一部の新興財閥の存在など、極めて不安定な状況に陥っていた。

 だが、2000年5月から2期8年間続いたプーチン政権の下では、プーチンの出身母体である旧KGB人脈のネットワークを背景に、中央集権的な政治体制を構築、ロシア国内に一定の秩序と安定を取り戻した。

 さらに、2004年から始まった原油価格の上昇を背景に、年率7%前後の経済成長率を立て続けに記録、国民の幅広い層にプーチン政権への支持が浸透していた。2007年の下院選挙での統一ロシアの315議席の獲得とは、このようなプーチン政権にとって極めて有利な条件が揃った中での出来事だった。

 ところが、2008年5月、メドベージェフ大統領-プーチン首相のタンデム政権がスタートした時点では、ロシア国内にも都市部を中心に中間層が大幅に増え、国民の政治に求める期待値も最初のプーチン政権発足当時とは比較にならないくらい高まっていた。

コメント0

「ニュースを斬る」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

高齢者に配るお金はあるが、少子化対策のお金はないと言うのは、おかしいでしょう。

小泉 進次郎 衆院議員