バブル期に青春時代を過ごした筆者にとって、合コンはバブルを象徴する言葉の1つです。さらに言うと「現在も現役ではあるけれども、少々レトロ感が漂っているイベント」という認識も持っています。
ところが最近、新聞記事などを通じて「最新トレンドとしての合コン」を目にする機会が増えました。街全体を合コン会場に見立てる「街コン」などのイベント(詳細は後述)が流行しているからです。
さて合コンは、どのような歴史を経て成立した習慣なのでしょうか。今回の「社会を映し出すコトバたち」は、合コンと、そのルーツであるコンパについて、その歴史をたどります。
旧制高校の寮文化が生んだコンパ
「『オイ、コンパをやらんか』突然声は其処(そこ)から起つた。『ウンよからう』と、直ぐ(すぐ)コツチから一人が賛成する、勿論(もちろん)他の二人も、異存のあらう筈(はず)がない。議案は忽ち(たちまち)通過する、金が集まる、好みを申出る事は早い、拳に負けた一人は外套(がいとう:コート)引かがつて出て行った。(略)其処に、使のものは鼻の頭を赤くして帰つてくる。風呂敷は広げられる、鹿の子(かのこ)が出る、大福が出る、金鍔(きんつば)がでる、白湯(さゆ)を啜り乍ら(すすりながら)思ひ−−に手を出す。話は一段と進む」
以上は明治時代の文芸雑誌「冒険世界」(戦後発行の少年雑誌「冒険世界」とは別の媒体)の1911年4月15日増刊号が掲載した記事「札幌農科大学 寄宿生活の面白味」からの引用です(注:米川明彦著「若者語を科学する」より孫引き)。コンパが誕生して間もない時期に書かれた文章の1つです。
コンパは明治時代の学生言葉として誕生しました。発信源は旧制高等学校(以下、旧制高校)の寮生たちです。
旧制高校とは帝国大学の予備教育を行う学校のこと。現在の感覚で言うと、高校というより大学の教養課程に近い存在でした。例えば一高(第一高等学校)は現在の東大教養学部などの前身に当たります。一高などのナンバースクール(1から8までの番号名を持つ旧制高校)は当時のエリート校でした。バンカラと総称する気風(粗野で、野蛮な態度)やファッション(白線帽やマントや高下駄などの身なり)も有名です。
旧制高校の大きな特徴の1つに全寮制があります。そして寮生活からは様々な隠語が誕生しました。例えば一高では、ずっと布団を敷きっぱなしにする「万年床」、集団で特定の部屋を急襲するイタズラである「ストーム」などの言葉が登場しています。これらの隠語が、ほかのナンバースクールとの交流(弁論大会など)を通じて全国に広まっていきました。
コンパもまた一高の寮生が使い始めた言葉の1つです。語源になったのは英語のcompany(カンパニー)。この言葉には「会社」という意味のほかに「社交」や「仲間」などの意味も存在します。当時の寮生は「社交」という意味のカンパニー(当時の表記はコンパニー)を引用して「コンパる」「コンパ」などの言葉をつくり上げたわけです。
コンパが寮発信の言葉であることを示す証拠に、様々な複合語が存在していることが挙げられます。同室のメンバーだけで親睦を深める「同室コンパ」、向かいの部屋のメンバーと一緒に開催する「対室コンパ」、斜め向かいの部屋を対象にする「対角線コンパ」、すべての寮生が参加する「全寮コンパ」などの言葉が存在するのです。このうち全寮コンパは、現在もその伝統を残している学生寮が存在します。
ともあれコンパ文化は、明治時代に「寮生同士で金を出し合い、菓子を食べながら語り合う会」として登場しました。
現代の大学も継承するコンパ文化
コンパという言葉には、一度、時代遅れになった時期があったようです。例えば昭和の初期に発行された雑誌「新青年」(1932年4月号)の「青年事典」には「(コンパは)今ではそう使はない、古い言葉である」という記述も登場します(注:「若者語を科学する」より孫引き)。
とはいえ現代に目を向けると、大学文化の中にコンパの習慣がしっかりと残っています。大学に通った経験をお持ちの人ならば、おそらく「卒業コンパ」「追い出しコンパ」「突入コンパ」「打ち上げコンパ」などの言葉をご存じだと思います。これらの言葉がどのように継承されたのか、その経緯は不明であるものの、コンパは現代の大学にもすっかり定着しています。
明治の旧制高校や現代の大学(新制大学)がコンパを必要とした理由は、おそらく親睦に対するニーズが高かったからでしょう。旧制高校も新制大学も、多様な地域から学生を受け入れていた(いる)からです。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。




からのご案内




