• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

森ビル、森稔会長の“楽しき人生”

巨大都市を生み続けた巨星落つ

2012年3月15日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 森ビル特集の取材で走り回っていた2003年の春のこと。ある取材先が雑談の折にふと漏らした言葉がずっと頭の片隅に残っている。

 「あの人は死ぬ時に、絶対こう言うと思うんですよ。『ああ、楽しかった』って」

 今月8日に逝去した森ビルの森稔会長のことである。

 今際の際の言葉などわかるはずもない。心残りなところもあっただろう。それでも、まちづくりに生涯を捧げた希代の経営者は、経営者としての天寿を思う存分全うしたのではないだろうか。

 森会長の不動産人生は、戦後復興の槌音が響く昭和30年代に幕を明けた。実父の泰吉郎氏が1955年に森不動産を設立すると、学生だった森会長も経営に参画。「事業部長」の名刺を持ち歩き、森家伝来の貸家を近代的なビルに建て替えていった。

 東京大学教育学部に在籍していた森会長は建築の素人だった。だが、独学で建築設計を学び、薄暗い駒場寮で新たに建てるビルを設計していたという。そして1959年。森ビルの設立と同時に取締役に就任すると、港区の新橋・虎ノ門地区を中心に「第1」「第2」と番号を冠したナンバービルを次々と建てた。

 森ビルの正史では、横浜市立大学商学部長を辞して森ビルを興した泰吉郎氏が創業者とされる。事実、森ビルの社長は長らく泰吉郎氏だった。ただ、現実を見れば、不動産開発を仕切った森会長が実質的な創業者と言っても間違いではない。

 港区に集中したナンバービルで「港区の大家」と呼ばれるようになった森ビル。ところが、その後は貸しビル業にとどまらず、街そのものを作り出す方向に傾斜していった。転機となったのは、1986年に完成した東京・溜池山王のアークヒルズである。

 アークヒルズが建っている赤坂1丁目や六本木1丁目は木造住宅が密集している地域だった。地権者が多く、再開発のハードルも高い。その状況下、森ビルは地権者一人ひとりを訪問し、説得するという地道な方法を取る。権利者の信頼を勝ち取るため、社員を再開発エリアに居住させることも厭わなかった。

 結果として、完成までに17年の歳月を要したが、誰もが困難と見たプロジェクトはオフィス、住宅、ホテル、コンサートホールなどを併せ持つ新しい街に姿を変えた。雑然とした木造住宅密集地が未来的な街に変わる様を見て、土の塵から人を創造するような感覚を、森会長は抱いたのではないだろうか。

コメント0

「ニュースを斬る」のバックナンバー

一覧

「森ビル、森稔会長の“楽しき人生”」の著者

篠原 匡

篠原 匡(しのはら・ただし)

ニューヨーク支局長

日経ビジネス記者、日経ビジネスクロスメディア編集長を経て2015年1月からニューヨーク支局長。建設・不動産、地域モノ、人物ルポなどが得意分野。趣味は家庭菜園と競艇、出張。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

本当の問題は労務費ではありません。 熟練技能を持つ職人さんが 少なくなっていることです。

押味 至一 鹿島社長