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パナ、事業部復活の真意

2013年3月7日(木)

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パナソニックが12年ぶりに「事業部」制度を復活させる。事業部を廃止した「中村改革」の否定とも受け止められている。だが、津賀一宏社長の真意は別のところにありそうだ。

 パナソニックは3月末に発表する中期経営計画で、大幅な組織改革に踏み込む。約90あった商品・サービスごとの事業部であるBU(ビジネスユニット)を50程度に減らし、名称もBUから「事業部」に変更する。90のBUを束ねてきた9のドメイン(事業領域ごとの事業本部)もカンパニーと改称し、9から4に絞り込む。各事業部に生産部門と営業部門をできるだけ取り込み、製品ごとに収益管理を徹底する組織に改める。

 津賀一宏社長の改革は、前任社長である大坪文雄会長や、その前の中村邦夫相談役時代の、いわゆる「中村路線」を否定するものとの見方が多い。

津賀一宏社長は事業部制を復活させ、収益管理の徹底を狙う

 そもそも事業部制は創業者である松下幸之助氏が1933年に導入した。製品ごとに開発から生産、営業まで一元管理し、各事業部に収益責任を負わせて競わせるやり方だ。「独立採算」や「権限委譲」などのキーワードとともに、電機だけでなくほかの製造業や流通、サービス業に至るまで、パナソニックの事業部制は、巨大化した企業を舵取りするためのお手本となってきた。

 だが、パナソニックでは、半世紀以上が過ぎる間に100近い事業部が乱立した。異なる事業部が同じ製品を手がけるなど、重複による無駄が生じた。

 これを整理したのが2000年に社長に就任した中村氏だ。中村氏は2001年に事業部制を廃止し、企画・開発や生産、営業などの業務内容ごとに組織を再編した。この改革をさらに覆し、事業部制に回帰することは、確かに前経営陣を否定しているようにも見える。しかし、「中村改革」を細かく検証すると、見方は変わる。

 2002年、滋賀県草津市の広大な敷地を二分する冷蔵庫工場とエアコン工場の間に、1本の横断歩道が敷かれた。「両事業部は松下の白物家電の王国といわれたが、過去30年の間、激しい社内競争を繰り広げた結果、相互に不干渉という関係が出来上がっていた」(『松下の中村改革』2004年、日本経済新聞社刊)。

 中村氏は両事業部を一体運営するホームアプライアンス社を設立した。同じ部品なのに調達価格が違っていたり、一方では人が余っているのに他方では臨時工を雇っていたりするなど、重複と無駄が目に余る状況だった。

 BUから事業部に名称を変更するとはいえ、津賀氏の改革は、中村改革と同様に「パナソニックの効率化」という同じ作業の延長線上にある。前の経営陣を否定して独自色を出す、という単純な狙いではない。

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「パナ、事業部復活の真意」の著者

小板橋太郎

小板橋太郎(こいたばし・たろう)

前日経ビジネス編集委員兼副編集長

1991年立教大学文学部史学科卒、日本経済新聞社入社。整理部、社会部、産業部などを経て2011年から日経ビジネス編集委員。現在は日本経済新聞社企画報道部デスク

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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