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オリンピックの本当の“効果”は、閉会式の後に現れる

  • 野地 秩嘉

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2013年9月13日(金)

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 オリンピックで何が変わるのか。1964年の東京オリンピックの大成功がその後の日本の成長にどうつながっていったのかを、徹底取材した『TOKYOオリンピック物語』の著者、野地秩嘉氏に聞いた。

野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家。1957年、東京生れ。早稲田大学商学部卒。美術展のプロデューサーなどを経て、ノンフィクション作家に。著書に『高倉健インタヴューズ』『美しい昔』『サービスの達人たち』『サービスの天才たち』『一流たちの修業時代』『キャンティ物語』などがある。

 本当の「オリンピック効果」があらわれるのは開催前ではないし、開催している最中でもない。2020年東京大会が無事に終わってから少なくとも数年間は日本経済は成長を続ける。私はそう考えている。

 1964年の東京オリンピックを例に取ろう。開催の翌年、日本は「四十年不況」と呼ばれる景気の悪化に見舞われた。しかし、景気後退は長く続くことはなく、経済はすぐに立ち直った。1965年の10月からは「いざなぎ景気」と呼ばれる57か月間もの好景気が続いたのである。これを受けて1968年には経済成長率が12.4%に達する。同じ年、日本のGNPはアメリカに次いで世界第二位となった。

 ではなぜ、オリンピック開催後も日本は成長を続け、暮らしが豊かになっていったのか。
 それには3つの要因が考えられる。

開催後に経済成長できた3つの理由

 ひとつはオリンピックの準備期間にインフラの整備が進み、それが新しい産業が生んだことだ。東海道新幹線、東京モノレール、高速道路はビジネスの生産性を向上させた。セコム(当時は日本警備保障)は開催前からあった会社だが、選手村の警備を担当したことによって一般に知られるようになり、閉会後、いくつもの仕事を受注した。セコムが始めた民間警備は新しい産業となり、同業が何社もできた。

 二番目の理由は「システム」の誕生である。私が2年前に出した本『Tokyoオリンピック物語』では、選手たちではなく当時の大会を支えた人々を取り上げた。日本IBMが競技結果を集計するためコンピュータのオンラインシステムを開発したこと、帝国ホテルの村上信夫料理長がシステマティックな調理法を編み出し、選手村で毎食、1万人分の料理を仕上げたこと、などだ。

写真:Colorsport/アフロ

 どちらも「システム」という新しいビジネスノウハウを産んだ仕事だった。その後、オンラインシステムは日本社会に根づき、金融や物流など、さまざまな分野に定着した。料理人は大勢の顧客に対応するシステマティックな調理法を身につけ、それまでの職人仕事から脱皮した。全国各地のホテルにあるレストランが飲食の提供だけでなく、惣菜、サンドウィッチ、ケーキなどの販売するようになったのは、選手村食堂における経験の成果だ。

 そして、三つ目は日本人がビジネスマインドを得たことだろう。

 本書にグラフィックデザイナーの亀倉雄策のコメントが出てくる。往時、東京オリンピックのシンボルマークとポスターを作った男だ(写真参照)。日本独自の美意識を世界に証明したポスターは世界各国で数々の賞を受け、いまに至るも「オリンピックポスター史上の最高傑作」とされている。亀倉は東京オリンピックを経験したことによる日本人一般の変化について、こう語った。

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