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豊田英二 かく語りき(上)

巨星墜つ――トヨタ中興の祖が語った「モノ作りの神髄」

  • 日経ビジネス編集部

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2013年9月18日(水)

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 トヨタ自動車最高顧問の豊田英二氏が9月17日早朝、心不全で死去した。100歳だった。同社の代名詞となった「トヨタ式生産システム」の確立に携わった英二氏は、トヨタを世界有数の自動車メーカーに育て上げた「中興の祖」として知られる。トヨタ式生産システムは今や、日本のみならず世界の製造業のお手本となった。

 1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併、いわゆる「工販合併」を成し遂げ、新会社の会長に就任。その後、84年には米ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁(NUUMI)を設立し、海外進出への足掛かりを作った。トヨタ式生産システムを持ち込んだ初の海外工場であるNUMMIの成功後、トヨタはケンタッキー、カナダ、英国で生産拠点を設立し、海外市場で飛躍する。

 94年にトヨタの取締役を退いた英二氏は、翌95年に日経ビジネスのロングインタビューに応じた。トヨタ式生産システムから日米貿易摩擦、阪神・淡路大震災からの復興、国家論、同族経営まで、テーマは多岐にわたる。

 激動の20世紀を泳ぎ切り、トヨタを世界最大の自動車メーカーの1つに引き上げた経営者の言葉。それは、東日本大震災からの復興、TPP(環太平洋経済連携協定)、国家ビジョンの欠落など、あまりにも相似した課題に直面する我々にとって、18年前のものとは思えぬほど新鮮で、示唆に富む。

 1万3000字を超えるロングインタビューを、上下2回に渡り、再掲載する。

(聞き手は日経ビジネス編集長、永野健二[当時]。
初出は1995年7月31日号、8月7日号)

 半世紀以上、自動車産業の発展とともに歩んできた豊田英二名誉会長が、モノ作りの神髄を語り、空洞化に警鐘を鳴らす。日米摩擦は30年前にその芽があったと振り返り、解消の難しさを指摘。トヨタ式生産の本質は「毎日のリスク管理」にあり、「当たり前のことを習慣にする」点に強さの秘密があるという。

 日米自動車問題は、また最近、何かがちゃがちゃやっていたようですな。

 お互いが技術で切磋琢磨してビジネスに徹して、それで勝ち負けが決まるなら、自由競争の結果として納得せにゃしようがない。最終的には手を抜いたやつが負けるんだから。

豊田 英二(とよだ・えいじ)
1913年9月12日愛知県生まれ、81歳。
トヨタ自動車工業の創業者、豊田喜一郎はいとこにあたる。36年、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業後、豊田自動織機製作所に入社。37年、分離独立したトヨタ自動車工業に転籍。45年取締役、67年社長に就任。82年、トヨタ自動車販売との工販合併に伴い会長に就任。92年9月、取締役名誉会長、94年9月に取締役を退任した。(以下、人物写真:清水 盟貴)

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