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白洲次郎が東北電力に残したもの

女川原発を震災から守り抜いた遺伝子

2014年3月11日(火)

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 白洲次郎をご存じだろうか。

 太平洋戦争に敗れて連合軍に占領されていた時代に媚びることなくマッカーサー元帥らと議論を戦わせ、満州の植民地支配や戦時経済統制を主導した戦前の商工省の通商産業省(現経済産業省)への脱皮に尽力したとされる人物だ。英ケンブリッジ大学への留学経験もあり、抜群の国際感覚と英国貴族のような洗練されたセンスを兼ね備えており、女性のファンも多い。

 その白洲が時を超えて、東日本大震災から女川原子力発電所を守り抜くことに貢献をした事実には、驚く人が多いはずだ。実は、深刻な原子力事故を起こした福島第一原発と対照的な堅牢さを誇り、住民の避難所の役割まで果たした女川原発こそ、東北電力の初代会長を務めた白洲が創業の仲間とともに埋め込んだ遺伝子(DNA)の結晶のひとつである。

 東北電力は殉職者を出しながら、カネに糸目を付けず、速やかに潤沢な電気の供給を再開することによって、被災地の復旧・復興に貢献しようとした会社だ。筆者は、その人に言えない苦労の連続を記録したノンフィクション『電力と震災 東北「復興」電力物語』を2月下旬、本サイトを運営する日経BP社から出版していただいた。

 ここでは、東北電力の復興を語るうえで外せない白洲らの創業物語の一端を紹介したい。

商才に恵まれ神戸の街造りに貢献した祖父、退蔵

 まず、白洲次郎と父祖の話から始めよう。

 白洲は1902年(明治35年)生まれ。明治生まれと思えない豊かな国際感覚は、祖父と父の2人が育んだものと言ってよい。

 通説によると、白洲家は、江戸時代中期の元禄年間、畿内の小藩「摂津三田藩・九鬼家」に、次郎の8代前の祖先にあたる白洲文麿良房が召し抱えられた。代々が儒学をもって藩校の教授を務めたインテリ家系だ。

 九鬼家は水軍の長として織田信長や豊臣秀吉に仕えた大名である。外様大名であり、江戸幕府には気を許せない存在だった。そして、家督争いに乗じ、摂津三田藩と丹波綾部藩という海に面していない2つの藩に分割、本拠地(伊勢志摩)から移封という憂き目を見た。

 幕末、三田藩の財政改革と軍備の洋式化を実現したばかりか、藩を佐幕派から討幕派に転換させて摂津三田藩九鬼家を「廃藩置県」まで大過無く存続させた功労者が、白洲次郎の祖父の退蔵である。江戸詰めだった退蔵はペリー来航に遭遇し、情報収集を命じられたことを転機にした。開国派に転じ、藩政で指導的な役割を担うようになったのだ。武士らしからぬ商才にも恵まれ、世界的に有名な神戸ビーフ(三田牛)の飼育や三田米を使った酒造りを奨励したのも、退蔵だったという。

 廃藩置県後、退蔵は旧藩主や藩士を伴って、三田の南隣りにあり、開港によって飛躍的な発展が見込まれていた神戸に移住した。そして、彼らの暮らしを支えるため、九鬼家に縁の深い「志摩三商会」という名の商社を創設。社長として金融・不動産など広範な事業を成功に導いたほか、神戸の街造りにも計り知れない貢献をした。

 退蔵は教育にも熱心で、私邸内に、神戸女学院の源流となる私塾を開いた。この住環境が、幼少だった退蔵の息子文平に語学や洋学を身に付けさせるのに役立った。

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