中国で「乳もみ」と「乳母」という「乳房」に関連した職業が注目を浴びている。この2つの職業は決して新しいものではないが、中国社会の変化を如実に示している。
昭和30年代までは日本でもあった職業
筆者が小学校に入学したのは1955(昭和30)年であった。もう50年以上も昔のことだが、今でも鮮明に覚えていることの1つに「乳もみ」という言葉がある。小学1年生の時に同級生となったS君は、父の会社の家族寮に有った我が家に近い借家に住んでいた。このS君の家に「乳もみ」という木製の看板が掛かっていたのである。「乳もみ」とは何か?これは小学1年生の筆者にとって素朴な疑問であった。「乳」といえば「おっぱい」であることは知っていたので、何となく照れくさく、肝心のS君を含めて誰にも聞けなかった。
S君の父親は盲人だったようで、当時の盲人たちがそうであったように、濃い青色の丸レンズの眼鏡を掛けていた。その盲目の父親の職業が「乳もみ」というものらしかった。その後しばらくして、大人たちの会話を傍らで聞いている間に、「乳もみ」の意味が分かったのである。「乳もみ」というのは、出産後に母乳が出ない時や乳が張って痛くて仕方ない時に、乳房をマッサージして母乳を出させたり、乳房の痛みを緩和する職業だった。
日本文化人類学会員の伊賀みどり氏のホームページ「みどり日記」にある「母乳哺育の文化史−『乳もみさん』の話」という記事によれば、「乳もみ」がいつ頃から始まったのかは分からないが、昭和30年代頃までは、「乳もみ」「ちちもみ」「乳揉み」といった看板を掲げた店が各地にあったとある。同記事には、「乳もみ」さんとは、按摩師の資格を持つ人のうち「乳もみ」を専業とした人や、免許は持たないが手技に長けた人だったようで、その中には「お産婆さん」もいた由で、女性が主体だったが、男性も少なからずいたとある。
中国初のプロは35歳の女性
2006年12月7日付の福建省福州市の新聞「海峡消費報」は、独占報道「中国最初の“乳もみ師”」という記事を掲載した。記事の主人公は黒龍江省の東南部に位置する鶏西市出身の文波という35歳の女性である。中学卒業という学歴で失業していた文波は、他の失業者たちと同様に種々の仕事を転々とした揚げ句、家事サービス会社に職を得て、家政婦として働くこととなった。
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