中国の「子供の日」は6月1日の「国際児童デー」であり、13歳以下の児童は小学校や幼稚園が休みとなる。
従来、中国の「子供の日」は1931年に制定された4月4日であった。1949年11月にモスクワで開催された国際民主婦女連合会の理事会が6月1日を「国際児童デー」とすることを決定したことから、同年10月1日の国家成立から間もないにもかかわらず、中国政府教育部は翌50年3月にこの「国際児童デー」を「子供の日」に改めた。
国務院総理・温家宝が訪ねた小学生
6月1日の「子供の日」に先立つ2007年5月26日、陝西省を視察していた国務院総理の温家宝は省都西安市から西へ50キロの距離にある興平市西呉鎮の散区村を訪問した。温家宝が散区村でまず訪ねたのは楊賽克という小学生の家であった。楊賽克の父母は福建省へ出稼ぎに行っており、1年に1度帰ってくるかどうかで、祖父母が楊賽克を預かって面倒を見ている。このような両親が出稼ぎに行き、故郷に残されて祖父母や親戚、或いは友人に預けられた子供を中国では「留守児童」と呼ぶ。
温家宝の訪問の目的は、子供の日を前にして楊賽克を代表とする「留守児童」を慰問することにあった。
楊賽克の家に入った温家宝が楊賽克に生活や勉強の状況を尋ね、学校のノートに文字がびっしり書かれているのを見て、「よく勉強しているね、ノートも節約しているし」と褒めると、楊賽克は悪戯っぽく舌を出して照れ笑いをした。温家宝が楊賽克の家から出て来た時には、門前に多くの子供達が集まっていた。そこで、温家宝は傍らにある木の下に座って子供たちと楽しく懇談したが、子供の多くが「留守児童」であることを確認し、「子供たちが常に父母と会えないという状況は、農村に出現した新たな問題である。我々はこれらの子供たちをもっと大切にしなければならない」と述べた。
農業人口77% 出稼ぎしなければ生活できず
陝西省興平市は人口56万人、その内の農業人口は43万人で、全体の約77%を占める。ところが、2005年の興平市のGDP(45.97億元)に占める第1次産業の比率はたったの約18%に過ぎず、農民は農業だけでは生活ができない。この結果、農繁期が過ぎると工場の臨時雇いの職を探したり、農作業は老人たちに任せて遠隔地へ出稼ぎに出ることになる。出稼ぎも最初の内は夫が単身で出掛けたものだったが、いつの間にか妻を帯同するようになると、夫婦で出稼ぎに行くことは当たり前となり、多数の「留守児童」が発生することとなった。これは興平市に限ったことではなく、全国の農村地域で普遍的なものとなっている。
中国版の三ちゃん農業
南アフリカ共和国の中国語ニュースサイト「中非新聞網」が6月6日付で掲載した「留守児童」関連の記事は、留守児童発生の背景を次のように説明している:
中国の経済発展に伴い、都市部における労働力不足が深刻化したのは80年代中頃からであったが、時期を同じくして農村部でも農業の生産技術が急速な進歩を遂げて余剰労働力を生み出した。都市部の需要と農村部の供給がうまく結びついたことにより、80年代中頃から農村部から都市部への巨大な人口移動として農民たちの出稼ぎが始まったのである。
その頃から中国の農村労働力は“386199”部隊を主とするようになった。これらの数字はそれぞれ中国の「祝日」を表し、“38”は3月8日の「国際婦人デー」、“61”は6月1日の「国際児童デー」、“99”は旧暦9月9日の「老人の日」(別名は伝統的な「重陽節」)を指す。すなわち、婦人、子供、老人を主体とする中国式の「三ちゃん農業」が始まった。
<註:日本の「三ちゃん農業」は爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんだった>
「留守児童」はこの頃から始まったと考えるべきで、当時の留守児童第1世代は現在20~30歳代で、彼らは既に子供を故郷に残して出稼ぎに出ているかもしれない。これは中国農民の宿命かもしれないと言った人がいるが、中国の都市と農村という社会の2元構造が生み出したのが「留守児童」であり、その根源は農村にあるのではない。[引用終わり]
出稼ぎ者数は総数1億5000万人
現在、中国で故郷を離れて働く出稼ぎ者の総数は1億5000万人以上と言われているが、彼らが故郷に残している「留守児童」の総数は2000万人以上と推定されており、甚だしくは7000万人に達しているとの説もある。
農村と都市の経済格差、構造問題のなかで中国の子どもと家庭が置かれているきびしい現実。自由に住むところが決められれば解決するのではないかというご意見がありましたが、日本の高度成長期のように農村の親子がそろって都市や都市近郊に移住できれば解決する、というほど単純な問題ではないと思います。たとえ都市に家族で住めたとしても、都市は子どもの成育環境として農村以上に苛酷です。他の方も指摘されているように、出稼ぎ労働者の子どものために、保育所、学校、学童保育など「共働き家庭」に必要な施設が整備されるはずもなく、子どもたちは、教育の機会も、保護も得られない状況で捨て置かれれるか、あるいは搾取の対象とされることになるでしょう。社会が豊かになったはずの日本でも、学校の整備はほぼ100%ながら、両親が働いている間の核家族の「留守児童」に必須の保育所、学童保育所の整備はいまだに必要性に対してまったく追いついていません。中国の「留守児童」問題には中国固有の原因もあるながらも、日本の状況を思うと、「貧しい社会ゆえの不幸」だとはとても思えないのです。(2007/06/18)