「中国

「先生、私はセーラームーンを見て日本に来たんです」

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2007年9月26日(水)

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「先生、先生がもし中国の若者と日本の動漫(アニメ・漫画)について書くのだったら、『セーラームーン』のことを書かなければなりません。あれを無視することはできませんよ!」

 私は現在、帝京大学の「中国文化論」という講義の中で、中国の若者文化を日本人の若者たちに紹介しているが、その受講生の中にいる中国人留学生が、講義を終えて研究室に戻ろうとする私の後を追いかけてきた。社会学を学ぶ大学 3年生、石暁宇(セキ・ギョウウ)さん(女性)だ。

若い世代にどう日本動漫が浸透したのかを知るチャンス

「書かなければならないって、あなた、それって……」
「いえ、先生。絶対に書いてほしいんです。私が小さい頃、中国には日本のアニメや漫画に出てくる"変身"という概念はありませんでした。けれども中学生になるころ、セーラームーンをはじめてテレビで見てびっくりしました。だって主人公が変身するんですもの。彼女たちは変身して正義のために闘うことを教えてくれた。私たち女の子はセーラームーンに"変身"しては、クラスの男の子をやっつけていました。あんな楽しい思い出を残してくれたアニメはありません。私は、だから日本に来たんです」

 いつもはどちらかと言うと無口で無愛想で、やや批判的な目で講義を聴いているような感じの彼女が、突然私を追いかけてきて「セーラームーン!」と熱く叫びだすとは、何とも意外だった。講義の最初のアンケートには「自分は日本人に中国語を教えているが、中国の文化に関して聞かれることがあり、回答できないことが多いので受講します」と書いていた女性だ。 23歳にしては大人びた顔だちで、体つきも女性としてはいささかがっちりした感じなので、咄嗟にかわいらしい「セーラームーン」のイメージと結びつかず、意表を突かれてしまった。

 ここまで言われては無碍(むげ)に断ることはできない。それに前回お話ししたとおり、中国の若い世代にどう日本の「動漫」が浸透したのかについて、具体的に知るチャンスだ。私はお茶を用意して、彼女の話をじっくりと聞くことにした。

             **************

 石暁宇さんは1983年、中国の北の方にある遼寧省大連市で生まれた。来日は 2003年。幼稚園の時にアニメの「一休さん」を見て、日本の動漫にハマりだした。「一休さんは多くの知恵を教えてくれた。だから、きっと頭がよくなれば人に好かれ、友達ができるにちがいないと思って、たくさん勉強しよう」と幼心に思ったそうだ。

 小学生になると今度は「ドラえもん」だ。「日本の建築や部屋の中のインテリア、ご飯のおかず、お風呂の入り方など、日本の生活スタイルにアニメを通して初めて接して、何てステキなんだろうと思って、日本への憧れを抱くようになったんですよ」。

 アニメが見せてくれる画像は、日本がまるで自分の目の前にあり、手の届くところにあるように感じさせてくれた。テレビの画面は、それこそドラえもんの秘密道具「どこでもドア」そのものだったという。この頃から彼女にとって、テレビの画面は自分を別の世界へ連れて行ってくれる「特別な道具」と化していた。テレビの向こう側の世界は夢に満ち、自分が独占でき、疑似体験をさせてくれる場所への「ドア」だった。

 中国で日本の動漫ブームが凄まじい勢いで起き始めたのは、石さんが中学生になった頃。女の子は「セーラームーン」、男の子たちは「スラムダンク」に夢中になった。スラムダンクは女の子にも人気があったので、バスケットボールがうまい男の子は女の子たちの憧れの的になった。男の子もそれを意識してか、バスケをやる男の子が急激に増えた。クラス全体でも、「スラムダンク」で描かれたような、チームワークの大切さとか、友情の重さとか、頑張るということが「かっこいい」というムードになり、それは勉強の面においてもプラスに働いた。

 中学生の石さんはどんなふうに「セーラームーン」ごっこをやっていたのだろう。何と彼女は仲良しの女の子3人でセーラームーンのグループを作り、昼休みになると急いで弁当を平らげ、その日の闘いのストーリーを練ったという。

 たとえばお弁当にゆで卵があれば、卵を大量に食べさせて悪者をやっつけるストーリーを創り上げる。お弁当を食べ終わるのも待てずに、持っているお箸で「変身」ポーズを決める。

変身ごっこに明け暮れた中学時代

 「バカか…」とつぶやく男の子がいたら、しめたもの。その男の子を悪者に仕立て上げ、創り上げていたストーリーの罪名をつけて、男の子を 3人でやっつける。男の子がなかなかやられない時は、クラスメートの中の女の子を適宜2人誘って、5人グループでパワーアップして、「月に代わってお仕置きよ!」とやっつける。いくらやられても男の子はさらに笑いものにしようとするので、彼女たちもますますパワーアップして、男の子をやっつけていく。こんなことを来る日も来る日も続けていたそうだ。

 日本の中学生の女子でこれをやっていたら、かなりクラスで浮いてしまいそうだ。当時のクラスメートはどんな雰囲気で彼女たちを見ていたのだろう?

「ぜんぜん普通でしたよ。女の子たちはみんな日本動漫の漫画を描くことに夢中だったし、全員がセーラームーンを見ていたので、私たちの変身ごっこを喜んで見ていました。だからパワーアップする時に加わってもらう 2人も、いつも簡単に見つかったんです」

 大ヒット中のセーラームーンのアニメを見ていない女の子は、クラスに1人もいなかった。毎日、授業の休み時間には前の日のセーラームーンの展開に関してきゃあきゃあと話題が盛り上がる。その輪の中に入れなかったら仲間はずれになるので、ますます全員がきちんと放映をチェックするようになっていた。

 詳しく聞いてみると、さすがに中学生で「変身」は恥ずかしい、というメンタリティはクラスのみんなにもあったそうだ。ところが石さんたちの 3人グループは誕生月が一番遅く、まだ12歳。また偶然にも背が低かった。いわば、小学6年生に近いと思われていて、「この3人がやるのなら」という雰囲気がクラスの中にあった。「私たち3人が先にやってくれれば、自分たちが続けてやっても、そう恥ずかしいことではない、とみんな思っていたようです」と石さん。自分からやりたい、と言い出せないクラスメートたちは、この 3人の変身が始まるのを心待ちにして、パワーアップの時には喜んで「残りの2名」に志願した、というわけだ。その結果、いつのまにかクラスの女の子のほぼ全員がセーラームーンに「変身」したことがあるようになったという。

 そんな娘を、彼女の両親はどう見ていたかというと、これはやっぱり厳しい顔をしていたようだ。

【最終ページにアンケートのお知らせがございます。是非、ご覧ください。】

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著者プロフィール

遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

 1941年、中国長春市生まれ、1953年帰国。理学博士、筑波大学名誉教授、東京福祉大学・国際交流センター センター長。(中国)国務院西部開発弁工室人材開発法規組人材開発顧問、(日本国)内閣府総合科学技術会議専門委員、中国社会科学院社会学研究所客員教授などを歴任。

 著書に『ネット大国中国――言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『チャーズ』(読売新聞社、文春文庫)、『中国大学全覧2007』(厚有出版)、『茉莉花』(読売新聞社)、『中国がシリコンバレーとつながるとき』『中国動漫新人類〜日本のアニメと漫画が中国を動かす』(日経BP社)『拝金社会主義 中国』(ちくま新書) ほか多数。2児の母、孫2人。

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