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上海不動産ミステリー(3)
~チャイナリスクは、実は安全弁でもある

  • 中村 正人

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2007年9月27日(木)

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 前回は、住人不在の富裕層向けニュータウン開発の謎を解明するべく、上海で不動産ビジネスを行うベターハウス上海の奥村尚樹さんに話を聞いた。

 背景には日中の不動産取引のルールや商習慣の違いがあった。日本の常識では考えられないほど強権的な政府による規制や介入も頻発していた。なかでも彼のビジネスに大きな転換をもたらしたのが、2006年7月、打ち出された外国人の不動産投資規制に関する法改正だった。日本からの個人による中国不動産投資が突然できなくなったからである。

あまりに突然だった外国人不動産投資規制

―― 改正はどのくらい前からわかっていたのですか。

 「噂を聞いたのはわずか1か月前のことでした」

―― 突然の改正によって御社はビジネスモデルの一翼を失うことになったわけですよね。

 「こうしたドラスティックなことも、いきなり起こるのが中国です。皆さんはそれをチャイナリスクとおっしゃるけれど……」

テームズタウンのジオラマ展示。これも外国人の不動産投資規制以前に作られたものだ

テームズタウンのジオラマ展示。これも外国人の不動産投資規制以前に作られたものだ

 当時の衝撃が大きかったためだろう。冷静な語り口は変わらないものの、彼は堰を切るように、この数年間、中国の不動産市場で起きたことをもう一度詳細に話してくれた。以下、整理させていただく。

 2004年当時、中国は人民元という自国通貨を守るために固定相場制を維持していた。人民元と外貨との交換は著しく制限されている一方で、不動産だけを誰でも自由に購入でき、外貨との再交換も可能な対象としていた。これは考えてみれば、不思議なことだった。

 当時、彼が『人民元で大儲け!』(あさ出版)で中国不動産投資を提唱したのも、その抜け穴を狙ったものだった。「いつか切り上がるのはわかっていて、人民元で投資できるのは不動産だけ。こんなにおいしい話はなかったのです」と奥村さんはいう。数ある人民元資産の中でも、不動産はきわめて現実的な投資対象といえた。

換金可能な不動産で外資を釣って、遮断する

 彼もいつかは外国人に対する政府の規制はあると思っていた。投資の門戸を不動産だけ開けっぱなしにして、価格が上昇すると煽れば、外貨はたまる一方だからである。そして中国が世界一の外貨準備高を保有したとされる2006年、法改正が行われた。法改正の時期を事前に伝えないのも、この国の理にならえば、法の効果を高めるためなのだろう。

 だが、ここに根本的な疑問がある。いつ頃から不動産市場が生まれたのか。そもそも社会主義の中国では、本来土地は国有のはずで、ある時期まで売買などできなかったからだ。そんなに昔の話ではない。奥村さんはいう。

 「政府が土地使用権の払い下げを制度として始めたのは1993年頃のこと。中国の本格的な市場経済は1992年のトウ小平の南方講和からスタートした。不動産市場の誕生も一部の国有企業が不動産開発を開始し、分譲マンションの開発を始めた94年頃だと思います」

 これらの物件を購入できたのは一握りの役人や国有企業の特権階級のみ。圧倒的な供給不足で市場にモノがないため、開発した物件は非常に高値で取引された。

 土地使用権の払い下げ。それが中国不動産バブルのルーツだった。市場経済への移行という、いわば「革命的」転換のドサクサに紛れて、巨大な利権の源泉が生まれたのである。利権は当然のように一部の特権階級に握られ、彼らは公共の利益より役得を優先した。

 それを怪しむ者はいなかったのだろうか。

前回は高級住宅、今回は実需・税制・戸籍

 官僚腐敗への告発(「官倒」)が軍隊によって弾圧された天安門事件(1989年)は、わずか数年前の出来事だった。身の安全が第一だった時代、特権階級を諫める者はいなかったろう。民主化世代を弾圧した老幹部は共産中国を建国したバリバリの革命世代。若手幹部が手を染めた開発先行の猛烈土建主義の弊害をどこまで理解していたか疑問だ。その頃の中国はまだどうしようもなく途上国だった。発展のためには膨大なインフラ整備が必要で、不動産開発も急務とされたのである。

 1990年代当時、盛んに開発されたのは、外国人駐在員向けの高級ヴィラやマンションだった。それらを所有していた特権階級は、3LDKのマンションの家賃に月8000ドルという法外な値をつけた。そんな賃料で貸せると知れると、「これは儲かる」と、目ざとい人間が不動産事業に進出した。ところが、アジア危機で駐在員が減り、一気に供給も増えたため、バブルがはじけた。第一次不動産バブルといわれた1996、97年頃のことだ。

 90年代の不動産開発に大きく関与したのは、台湾や香港の華僑だった。現地の役人と組んで土地を確保し、開発を進めてきた。当然バブル崩壊で彼らも痛手を被った。これまで中国で不動産バブルと呼ばれた時期は2回ある。最近のほうは、2000年過ぎから始まり、昨年の政府の規制により沈静化したものだ。

 こうした動きを香港でずっと見ていた奥村さんは、2002年に香港から上海へ拠点を移した。それを決意させたのは何か。90年代の第一次バブルとはどこが違ったのだろうか。

【最終ページにアンケートのお知らせがございます。是非、ご覧ください。】

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