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レジャー超大国、中国(4)
~そうだ! 上海で“日本の80年代”を探そう

あの千葉の“ザウス”が上海に復活!?

  • 中村 正人

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2007年11月26日(月)

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 前回、中国の地方から来た観光客の世界を“昭和30年代”に見立てた。だったら、中国経済の最前線・上海で暮らす人たちはどうなのか。

 彼らは“日本の1980年代”を生きている。それがぼくの見立てである。

 一般に中国の改革開放以降の経済発展は3つの時期に分けられる。まず、1980年代に始まる華南地域を中心に経済開発を進めた初期、1992年のトウ小平「南方訓話」を機に上海に中心が移転する中期、そして2001年のWTO加盟以後、現在に至る第3期だ。

 この第3期に入り、上海はどうしようもなく、“日本の1980年代”に似てきたのだ。

 それをぼくが最初に実感したのは、2004年2月に上海で開催された中国初の本格的な海外旅行展「上海旅遊資源博覧会」だった。

 そこでは、上海をはじめとした中国沿海部に暮らす人たちの海外旅行やレジャー熱の高まりを強く感じた。超高層ビル街・浦東の郊外にある巨大な展示場「上海新国際博覧中心」には、世界40カ国と国内各省の観光局ブースが出展された。会場内のステージは、韓国のヒップホップダンサーによるショーやスペインの出展者によるフラメンコ、水着ショーまで繰り広げられる賑やかさ。そこへ一斉にカメラを向ける上海市民たち。

海外旅行が爆発的に伸びた日本の80年代を思わせる

 来場者は3日間で2万人を超えた。それはちょうど、海外旅行の大衆化が一挙に進行した1980年代の日本の、華やいだ状況を思い起こさせたのだった。

 以来、ぼくは定期的に上海を訪ね、80年代的な消費シーンを観察してきた。ひさしく距離をとっていた中国への関心が再燃したのである。それが当連載「上海マーケティングツアー」のガイド役に名乗りを上げることになったきっかけだ。

※ここでいう“日本の80年代”とは、海外旅行に代表されるレジャー消費が大衆化した時代をさす。それまではパックツアーが高額だったため、一部の人間しか海外に行けなかったが、格安航空券が登場し、アルバイトで稼いだお金で、大学生が気軽に海外旅行に行けるようになった。それが1980年代だった。

 さて、そうした現代上海のレジャーシーンの報告に移りたい。“日本の80年代”を探しに行こう。

『コンシェルジュ』2007年9月号(チャイナコンシェルジュ社刊)

『コンシェルジュ』2007年9月号(チャイナコンシェルジュ社刊)

 日本の80年代との類似性という視点で上海を見るとき、参考になるのが、現地で発行される日本人向けフリーペーパーだ。今回は「コンシェルジュ」2007年9月号のレジャー特集を取り上げる。いまや10万人を超えるといわれる在住日本人、世界最大の日本人学校もある上海で暮らす駐在員ファミリーが週末を過ごすためのアミューズメントスポットを紹介する内容となっている。特集のタイトルは「そうだ! 週末は子どもと遊ぼう」。

 そこでは、上海郊外にある人工ビーチリゾートやアウトドアパーク、乗馬クラブ、映画テーマパークなど8つのスポットが紹介されている。なかでも、“日本の80年代”的記憶を呼び覚ますものとして断然気になるのは、屋内スキー場の存在だ。

スキー習熟者が少ないため、銀七星室内スキー場のゲレンデの標高は「ザウス」よりかなり低い

スキー習熟者が少ないため、銀七星室内スキー場のゲレンデの標高は「ザウス」よりかなり低い

 銀七星室内スキー場は、約11万平方メートルの敷地に斜度15度、380mの人工ゲレンデを持つ世界で2番目に大きい屋内スキー場だ(ちなみに、世界最大の屋内スキー場は中東のドバイにある)。オープンは2002年10月18日というから、千葉県船橋市の埋立地にあった屋内スキー場「ザウス」の閉館(同年9月30日)直後である。

上海へ“再上陸”

 三井不動産が5年の歳月と400億円を投じて建てたという、1年中パウダースノーの人工雪でスキーが楽しめる「世界一の屋内スキー場・ザウス(当時)」は、1980年代末から建設が始まり、バブル崩壊を挟んで93年に営業スタート。マスコミがさかんに騒ぎ立てたが、結局、収益は振るわず、2003年秋に解体され、現在は分譲マンションになっている。日本のバブルの残り香ともいえた巨大娯楽施設。偶然にも、それが東京近郊から上海近郊に移ったのである。

 「コンシェルジュ」9月号では、こう紹介されている。

家族でスキーを楽しむ上海人もいるにはいる

家族でスキーを楽しむ上海人もいるにはいる

 「銀七星室内スキー場は板やブーツ、スキーウェアなどがすべてレンタルで揃い、まさに手ぶらでスキーやスノーボードができる人工室内スキー場だ。日本製のマシンで作られる雪は均一な大きさで、万が一転んでも痛くない。コーチ陣も70名以上が待機し、初心者でもすぐに上達できそう。室内は常にマイナス1~2度に設定されていて、上海の冬以上に厳しい寒さに、子どもも大人もわいわい遊べそうだ」

 一見、東京の若者向け情報誌と変わらないノリの紹介文である。上海の日本人駐在員の中には、スキーの全盛期だった1980年代に若者だった世代も多いだろう。ぼくもまさにその世代で、大学の友人に誘われスキー場に出入りしていたから、当時のことは覚えている。バスツアーで行くにしろ、車で繰り出すにしろ、男子と女子の頭数を揃える必要があったから、よく声をかけられた。いまだに予告編しか見たことないが、映画「私をスキーに連れてって」みたいなことが実もふたもなく現実に起きている、くすぐったい時代だった。

 誰もが浮かれた日本のスキーブームも、バブル崩壊直後の1992年にピークを迎え、あっという間に凋落をたどる。

 実は、最近、そんな話を上海人の若者とした。知り合いの上海人の甥っ子で、今年9月、来日したばかりの日本語学校生ウェイウェイくん(23)が銀七星室内スキー場に行った話を聞かせてくれたからだ。

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