清水寺のお坊様が書いた今年の世相を表す字は「偽」でした。確かに、偽に明け偽に暮れた1年だったですね。伝統ある銘菓だと信じて賞味期限が過ぎたお菓子を買った人はだまされました。消費者をバカにした話でした。ただ、賞味期限が切れた赤福や白い恋人を食べて命を落とした人は報告されていません。
一方で、年末にかけて、お菓子とは比較にならない、巨大で危険な偽が改めて注目されました。薬害肝炎のために、多くの国民が命を落とし、責任者である企業や国は知らんぷりをし、20年も救済も謝罪もろくに行われず、健康は蝕まれ、生活も人生も破壊されてきたのです。
しかも、政府は、今も国民への責任を放棄しています。担当大臣が被害者に顔を合わせないように会見場から逃げたことを批判されてから、泥縄のように救済策というものを出してきました。被害者の方々は救われません。これでは、また同じようなことがわれわれにも起きるかもしれません。
被害者が弱るのを待っているかのような政府の対応
国民の命を守ることは、国家の最も基本の役割です。でも、薬害エイズや北朝鮮の拉致事件のように、国民に被害が発生していることが分かっていながら、勇気ある被害者やジャーナリストや政治家の告発があるまで、政府が被害を放置することが続きました。
しかも、薬害の場合は、政府は、被害を最小限にするどころか、問題を隠して被害を拡大し、責任を回避し、訴訟を通じて被害者と敵対し、ただでさえ苦しい被害者を追い詰めてきました。政府が立派な加害者です。
確かに、薬は本来リスクを伴います。副作用や思わぬ危険は、薬の宿命かもしれません。薬が救うはずの命と薬害とのバランスもあるでしょう。
しかし、薬害が発生した時に、薬を認可した政府は、早く薬害の事実を知らせてそれ以上の被害を防ぎ、それまでの被害者を救済するのが務めです。
ところが、今の政府は、事実を隠し、被害者を放置し、被害者が多大な負担を強いられる裁判のプロセスまで、何十年でも責任を取らないのです。訴訟する被害者は個人です。訴訟を受ける国は、税金を使っていくらでも控訴し上告します。
まるで被害者が弱るのを待つようです。まさに、「人民は弱し、されど官吏は強し」です。これでは、われわれのうち誰が将来の薬害と政府の被害者になるか分かりません。
問題の根底にあるものは薬害エイズと同じ
国が製造承認し、健康保険の適用を受け、全国で投与された血液製剤フィブリノゲンが薬害肝炎の原因です。C型肝炎ウイルスに汚染されたフィブリノゲンが29万人もの人に投与され、そのうち1万人の人がC型肝炎を起こしたと推定され、またC型肝炎からは肝臓ガンから死に至る危険が相当に高いと推定されています。多くの人命が奪われ、さらに多くの人の健康と人生が破壊されています。
フィブリノゲンを独占的に作ったのが、ミドリ十字でした。薬害エイズの原因となった血液製剤を作った会社です。
薬害肝炎訴訟における責任の所在、国の責任の取り方につき、情緒に流れない、極めて論理的で説得的な文章だと思いました。原告団・弁護団のそれよりよほど説得的かも知れません。私が関与している原爆症認定訴訟についてもコメントしていただけるとありがたいです。ところで、本日付のコメントを寄せている方、「冤罪」という言葉の意味、用法を勘違いされているようですね。厚労省の役人や舛添厚労相をかばうのは結構ですが、もう少し言葉を吟味して使っていただきたい。(2007/12/29)