2007年12月末に発表された日経ビジネスオンライン「2007年記事別年間総合ランキング」で第1位の栄誉に輝いたのは、“宋文洲の傍目八目”に掲載された「捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと」であった。記事には少女としか書かれていない白血病の少女の名前は「余艶(よえん)」、少女は2005年8月22日、闘病の末にわずか8歳でこの世を去った。
日本人読者の共感を集めた美談の背景
この記事が多くの読者から支持されたのは、宋文洲氏が、余艶ちゃんの生い立ち、健気な闘病生活とその死を素直に描いたことが読者の共感を呼んだからにほかならない。余艶ちゃんの儚くも美しい話に強い感銘を受けた筆者は、中国語のインターネットを通じて改めてこの話の原点に立ち戻り、その背景を探ってみた。
この涙を誘う話は、2005年6月に四川新聞系列の「成都晩報」の女性記者である傅艶さんが、白血病に苦しむ「余艶ちゃん」を救おうと四川新聞ネットと網易ネットを通じて中国全土に義捐金を要請したことから広く知られるようになったものである。宋氏の記事中に出てくる「ある新聞記者」というのが傅艶さんである。かつて医者として病院に勤務した経歴を持ち、1児の母でもある傅艶記者は、貧困児童の白血病救援活動を推進し、報道を通じて「四川骨髄バンク」の設立を促進している人でもある。
白血病の治療のために入院した余艶ちゃんは、自分の病気治療には30万元(約450万円)もの大金がかかることを知る。この世に生を受けて間もなく捨てられた余艶ちゃんを拾い育ててくれた養父の余仕友と2人きりの生活は極貧そのものである。
余艶ちゃんは、養父が治療費を工面することは到底不可能と判断し、文字を書けない養父に代わって自ら治療を放棄する旨の「治療放棄書」を作成し、養父と叔母と共に成都市郊外にある双流県三星鎮の実家へ戻る。この治療放棄という話を聞きつけた傅艶記者が、わざわざ三星鎮に出向いて余艶ちゃん父子を成都市に連れ戻して成都市児童医院に入院させる。
ある女性記者の活躍
それから、傅艶記者の八面六臂の活躍が始まるのである。傅艶記者は2005年6月22日付で「白血病の8歳の少女、賢明にも自らの死後を手配する」という記事を書き四川新聞ネットに掲載した。これは、余艶ちゃんが養父と叔母と一緒に成都市の病院から実家に戻る前に、養父に向かって「私は死ぬ前に新しい服を着て、写真を1枚撮りたいの。綺麗になって死にたいわ。そうすれば、後でお父さんが私を思い出す時に写真を見ることができるでしょ」と言ったことを指している。この言葉を聞いた養父と叔母は悲しみのあまり声も出ず、その日の内に新しい服を2着買って写真を撮ったと傅艶記者は報じた。
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