• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

道路について徹底的に議論せよ

戦後復興期の財政のあり方から今こそ脱却を

  • 山崎 養世

バックナンバー

2008年1月22日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 2008年の通常国会が始まりました。大きな焦点になりそうなのが、ガソリン税を引き下げるのか現状を維持するのか、という道路財源の暫定税率の問題です。

 でも、本当の問題は、それにとどまらないはずです。なぜなら、終戦から7年後の1952(昭和27)年に決められた道路建設の財源のあり方こそ、戦後の財政と政治のシステムそのものです。まさに自民党のビジネスモデルであり、戦後体制です。

 これまで、小泉純一郎元総理は「自民党をぶっ壊す」と言い、安倍晋三前総理は「戦後レジームを変える」と言いました。しかし、戦後体制の本丸であるはずの、道路のあり方は変わりませんでした。

 日本が、本気で、戦後の復興期に作られた財政のあり方から脱却し、21世紀の現実に合った政治と経済に転換しようとするならば、道路のあり方を変えなくてはなりません。今の道路のあり方が作られた1952年には、国会で徹底的な議論が行われました。56年後の今年の国会でも、時間をかけた徹底的な議論をすべきです。もし、まともな議論もせずごまかしに終わったら、日本の没落は止まらないでしょう。

始まりは青年田中角栄が提案した議員立法

 戦前から1952年までは、日本の道路建設のあり方は、至ってシンプルかつ常識的なものでした。予算といえば、一般財源しかなかったからです。政府は、入ってくるすべての税金などの収入の中から、道路に配分すべき額を、予算編成で割り振って支出しました。もろもろの支出とのバランスの中で、道路に出すべき額を決めていました。予算といえば一本であり、最初から使い道の決まった税金はなかったのでした。  

 そして、道路は政府が作るものでした。国道も地方道も「天下の公道」でした。私道ではないのですから、無料でした。

 ところが、戦後の日本では、多くの新しい道路が、一気に必要になりました。敗戦で日本中の大きな都市は焼け野原になり、植民地もすべて失いました。国土を復興し、経済を発展させなければ、国民は食べていけません。先見の明のある人は、鉄道の次は自動車だ、米国のような自動車社会になれば日本の経済は伸びる、と思いました。そのために、全国に舗装道路を作る必要が出てきました。

 しかし、壁に突き当たりました。1952年の道路整備費は約200億円しかありませんでした。それでは全国に新しい道路を作るのには足りませんでした。

 その時に、それまでの常識を覆す新しい提案をしたのが、青年議員田中角栄でした。まず、ガソリンにかけていた税金の収入をすべて道路の整備に使う、という議員立法を提案しました。これは国会の内外から大変な反発を招きました。あらかじめ税金の使い道を「特定」する「目的税」など、財政の原則に反する、そんなことは政府の予算編成権を奪う、憲法違反だ、と学者を含めた大論争に発展しました。

コメント70

「山崎養世の「東奔西走」」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トップの身の丈が組織の限界を作る。

多田 荘一郎 GEヘルスケア・ジャパン社長兼CEO