「中国

脱・下請けに動きはじめた中国のアニメ会社

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2008年1月23日(水)

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中国動漫新人類  日本のアニメと漫画が中国を動かす

遠藤誉著、日経BP社、1700円(税別) ※1月31日発売予定

 「たかがマンガ、たかがアニメ」が中国の若者たちを変え、民主化を促す−−? 日本製の動漫(アニメ・漫画)が中国で大流行。その影響力は中国青少年の生き方を変え、中国政府もあわてて自国動漫産業を確立しようとやっきになっているほど。もはや世界を変えるのは、政治的革命ではなく、サブカルチャーの普及による民衆の生活意識の変化なのだ。しかも、それを手助けするのはたやすく手に入る「悪名高き」海賊版なのである!

 連載中から大反響の本企画がいよいよ単行本化。現代中国論としても、日中関係論としても、そして何よりサブカルチャー論としてもこれまでにない論点を提示し、かつ、膨大な取材に基づき驚くべき事実を掘り起こしたノンフィクションの決定版!

 タイトルは『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』。1月31日発売予定です。ぜひお読み下さい。
(日経ビジネスオンライン編集部)

 中国の青少年がそれこそテロまで起こそうとするほど愛している日本アニメ。

 その日本アニメの多くが、実は中国で製造加工されている。

 おそらく日本のアニメファンの間ではもはや常識だろう。けれどもこの事実を知ったら、中国の青少年たちはどう思うだろうか。

 広東で日本アニメの末端加工に携わっていた、とある会社の社長(匿名を希望)を取材することに成功した。彼の会社では、アニメのセル画の加工から、アニメ関連のキャラクターグッズ生産までを幅広く手がけていた。

 社長は私に次のように話してくれた。

「アニメ産業に関連する加工にもいろいろあって、アニメの画面の加工そのものからキャラクターグッズの生産に至るまで、多種多様に分かれています。それら全てを含めれば、まあ、低めに言っても、日本アニメがらみの加工の80%は中国で行われていると言っても過言じゃないでしょう」

「もちろん原画そのものは日本で作られますが、一つの動作がスムーズに動くようにするために多くのセル画を作成加工しなければなりません。それを中国で加工して、またすぐ日本に戻さなければならない。ですから、アニメの加工会社はたいがい空港の近くにあるんです」

「私自身は日本のアニメのキャラクターグッズ生産もやりましたし、ディズニーのアニメがらみの仕事もずいぶんやりました。とりわけディズニーのキャラクターグッズは数多く手がけました。生産ラインをいくつも増やしましたね。初期の頃は数名しいなかった従業員も今では200人を越えるようになりましたよ。もっとも現在は、中国国産アニメの制作を手がけています。すでにテレビ放映されました。こちらの仕事は政府の支援があるから、アニメがヒットすれば、そのアニメのキャラクターグッズの収入も自分のところに入ってくるでしょう? だから今はもっぱら、国産アニメの仕事に専念していますよ」

 この社長によれば、彼の会社のような日本アニメの原画加工代理会社の多くは、広東、深セン、杭州あるいは上海に集中していたとのことである。今では北京やその他の地域にも普及するようになり、かつ加工もセル画作成からコンピュータによるCG加工作業へと移行していった。

 そもそも、中国でなぜ日本のアニメが作られるようになったのか、その経緯を、ここで振り返ってみよう。

たった1日でセル画を完成

 作品としての日本アニメが中国に上陸したのは1980年代初頭であることは、すでに何度か指摘してきた。「鉄腕アトム」を筆頭にすぐれた作品が中国人の心をたちまちとらえ、日本アニメは中国を席巻した。90年代に入るころには、日本アニメの人気はすでにピークに達する。そして、その時期はちょうど日本のバブル崩壊と重なってもいる。

 アニメに詳しい方ならばご存知だろうが、アニメ産業の工程できわめて重要なセル画の作成は、きびしい労働集約的な仕事だ。ゆえにセル画を何枚も何枚も描き続ける人たちの労働条件は過酷である。だから、人件費の高い国では、セル画の描き手集めに苦労するようになる。バブル景気を経て人件費が高くなった上に、バブル崩壊で不景気に陥った日本のアニメ産業は、安い労働力を求めて、まさにこのころ中国に加工の場を求めるようになった。これはまた、中国が世界の工場と呼ばれるようになった時期とも重なっている。

 また、日本のテレビ局が非常に安い価格でしか日本のアニメの放映権を購入しなかったために、日本のアニメ制作会社はアニメ放映そのもので利益を生むことができず、その末端アニメーターとなると、ますます低賃金で過酷な労働を強いられた。そのため、このような業務に従事する若者は日本国内で減っていったということも、その原因の一つとして挙げられよう。

 この変遷と歩みをともにするかのように、中国における日本アニメの加工作業は密度を増していった。早くも80年代において、杭州や上海にあるアニメ加工会社が日本のアニメ加工に携わるようになり、90年代半ばに入ると各地に数多くの小規模な加工会社が成立するようになった。

 なぜ小規模かというと、本格的なアニメ制作会社は、政府の許可がないとなかなか設立できないので、アニメ材料加工公司といった名称での営業登録をして、実際はそこで日本アニメなどの原画加工作業に携わることが多かったからだ。人数も数名から始めていった会社がほとんどだという。

 アニメの加工の流れは以下のとおり。

 まず、飛行場から加工工場まで日本から送られてきた原画を運搬する。翌日には加工を終えて、日本に飛ぶ飛行機に乗せなければ作業が間に合わない。したがって原画が着いた瞬間から徹夜の作業が始まる。もしセル画のレベルが低ければ、飛行機で差し戻しにあい、加工をやり直し、さらにその翌日の便で日本に送る。しかもやり直しの賃金は出ない。こんな毎日の繰り返しだ。

 到着した原画には、すでに翌日に返す飛行機のフライト・ナンバーが記してある。仕事を区分する時に、たとえばこれは「●月●日CA 167便」に乗せる原画だ、といった具合に、どのフライトに乗せる原画なのかで業務区分をしたそうだ。ひとつのアニメを仕上げるのに何日間も続くこともある。寝る間もない。

 過酷な労働に悲鳴を上げる者もいたが、収入は悪くなかった、という。80年代初頭、一般の労働者の平均収入は100元に満たず、90年代に入ると300元くらいになったが、この時期、日本アニメ原画加工労働者の平均収入は1000元(1万5千円)を超えたというのだ。したがってわれもわれもと、日本アニメ加工業に就こうとする者が増えていった。

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著者プロフィール

遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

 1941年、中国長春市生まれ、1953年帰国。理学博士、筑波大学名誉教授、東京福祉大学・国際交流センター センター長。(中国)国務院西部開発弁工室人材開発法規組人材開発顧問、(日本国)内閣府総合科学技術会議専門委員、中国社会科学院社会学研究所客員教授などを歴任。

 著書に『ネット大国中国――言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『チャーズ』(読売新聞社、文春文庫)、『中国大学全覧2007』(厚有出版)、『茉莉花』(読売新聞社)、『中国がシリコンバレーとつながるとき』『中国動漫新人類〜日本のアニメと漫画が中国を動かす』(日経BP社)『拝金社会主義 中国』(ちくま新書) ほか多数。2児の母、孫2人。

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