「中国

【最終回】「中国動漫新人類」はどこへ行くのか

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2008年3月5日(水)

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中国動漫新人類  日本のアニメと漫画が中国を動かす

遠藤誉著、日経BP社、1700円(税別) 発売中

 「たかがマンガ、たかがアニメ」が中国の若者たちを変え、民主化を促す−−? 日本製の動漫(アニメ・漫画)が中国で大流行。その影響力は中国青少年の生き方を変え、中国政府もあわてて自国動漫産業を確立しようとやっきになっているほど。もはや世界を変えるのは、政治的革命ではなく、サブカルチャーの普及による民衆の生活意識の変化なのだ。しかも、それを手助けするのはたやすく手に入る「悪名高き」海賊版なのである!

 連載中から大反響の本企画がいよいよ単行本化。現代中国論としても、日中関係論としても、そして何よりサブカルチャー論としてもこれまでにない論点を提示し、かつ、膨大な取材に基づき驚くべき事実を掘り起こしたノンフィクションの決定版!

 タイトルは『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』。ぜひお読み下さい。
(日経ビジネスオンライン編集部)

※最後に、筆者から読者の皆様へのメッセージがございます。

前回から読む)

 中国語では国家や民族としての正統派的文化を「主流文化」、改革開放以降出現したサブカルチャーを「非主流文化」「次文化」あるいは「亜文化」(亜流の亜)等と称して区別するが、ここでは言葉の対比の関係上、「主流文化」を「主文化」、サブカルチャーを「次文化」と定義して分析を試みたい。

 この定義を用いて表現するなら、改革開放前までの中国には「主文化」しかなかったということができよう。マルクス・レーニン主義あるいは中国共産党の思想に忠実でない文化はあってはならず、あくまで共産党の思想に軸足を置いた「主文化」しか存在していなかった。

 けれども、国民を思想統一して「向前看」(前に向かって進め)と指導してきた中国政府が、1970年代半ばの文化大革命の終焉、そして1989年の天安門事件を経て、90年代に入り、そのスローガンを同じ発音の「向銭看」(銭に向かって進め)という精神に切り替えてからというもの、大人は金儲けに邁進し、青少年は自ら好む娯楽を自主的に選び始めた。

 そして、その娯楽として青少年が選んだのが日本の動漫だった。

「たかがアニメ」が中国にもたらした「次文化」

 中国政府はといえば、「たかが娯楽、たかが動漫、若者は変に政治意識が高くなるより、漫画やアニメにうつつをぬかしてもらっていたほうが、国家が安定する。そして大人は金儲けに現を抜かしてくれていた方が、社会不満を政治に向けてこない」とこのとき思っていた。日本動漫は政治性もなく、思想性もないということで安心したにちがいない。

 しかし、「たかが動漫」は、中国政府が思っているよりはるかに大きな力を秘めていた。

 それまで政府主導で押し付けてきた画一的な文化と思考、国家的道徳規範と価値観しかなかった主文化の中に、自由奔放な、多角的方向性を持った次文化が入り込んできたのである。

 気がつけば、若者たちはみな、画一的なベクトルで選択させられていた「国家的道徳規範と価値観」から解き放たれて、「自己の道徳規範と自己の価値観」に基づいて選択し行動する観念を持つに至っていた。

 天安門事件のときに民主を叫んだ若者の口を銃口でふさいでしまったとき、中国政府は「経済は開放するが、政治思想は開放しない」と決意した。

 しかしいま中国は、結果的に「精神文化」を開放してしまったのだ。

 政治思想は、中国においては体制が強要するものであるかもしれないが、人間の本性からすれば、「精神文化」が選ぶものである。建国以来、「党への忠誠」に貫かれていた道徳思想は、中国の若者たち子どもたちに「個人の主張」、「個人の欲望の追求」を最優先する観念と行動様式を芽生えさせてしまったのである。

 改革開放が始まった初期、「窓を開ければ蝿だって入ってくるさ」と達観していた鄧小平が指した「蝿」とは「アメリカの若者文化」であった。それはジャズであり、フォークソングであり、ディスコであり、そしてヒッピー風俗であった。

 こうした開放政策が精神文化をめざめさせた結果、天安門事件で中国の若者たちが爆発した。あわてた政府は「崇洋媚外」(西洋を崇拝し、外国に媚び追随すること)を戒めて愛国主義教育を始めた。たしかにここにあげたアメリカ若者文化は、いわゆるカウンターカルチャーであり、反体制的な要素を多分に含んでおり、こうした文化の摂取は自由への渇望や現体制への不満とつながるのは容易に想像できる。天安門事件に直面した中国政府が警戒したのも当然である。

 が、こうしたアメリカ若者文化とほぼ同時期に中国に入ってきた日本動漫は、天安門事件のような「民主化」につながる要素を何も持たないはずだ──そう中国政府は考えたわけである。くり返すが、彼らは「たかが漫画じゃないか」「たかがアニメじゃないか」「たかが子ども向けじゃないか」と思っていたのである。

 そんな「たかが」的存在だったからこそ、日本動漫は、「民主」のことを中国語の発音記号の「Min-Zhu」の頭文字を取って「MZ」と表記しなければならないほどネット検閲の厳しい中国において、海賊版が市場にあふれ、テレビにばんばん登場し、自由自在にネット上で飛び交うことが許されたわけである。

 なんという皮肉。日本動漫の、一見すると、思想性のなさ、政治性のなさこそが、結果的に「思想性」を生み「政治性」へとつながっていく潜在力を持つことになる。

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著者プロフィール

遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

 1941年、中国長春市生まれ、1953年帰国。理学博士、筑波大学名誉教授、東京福祉大学・国際交流センター センター長。(中国)国務院西部開発弁工室人材開発法規組人材開発顧問、(日本国)内閣府総合科学技術会議専門委員、中国社会科学院社会学研究所客員教授などを歴任。

 著書に『ネット大国中国――言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『チャーズ』(読売新聞社、文春文庫)、『中国大学全覧2007』(厚有出版)、『茉莉花』(読売新聞社)、『中国がシリコンバレーとつながるとき』『中国動漫新人類〜日本のアニメと漫画が中国を動かす』(日経BP社)『拝金社会主義 中国』(ちくま新書) ほか多数。2児の母、孫2人。

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