• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

第3回 「小鳥」になれないA女たち

有能で美人、でも「釣り合う男性」にはそっぽを向かれる

2008年3月14日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

前回から読む)

 前回までは、もっぱら、公園における父母たちによる集団公開見合いの現象をお示ししたが、そこでも触れたように、きっかけを作ったのは、「結婚できない<できる女>」がいることであった。しかも高齢の。

 大学進学率が高くなった中国においては、「できる女」が普遍的現象になりつつあるので、自分の娘も、やがて「仕事ができる女」になり、そして「結婚できない女」になるのではないか。そう焦った父母たちが、娘たちがまだ20代半ばのころから公園デビューをし始めたことが、この現象に拍車をかけ、社会問題に発展するまでに至ったのである。

 それならなぜ、「中国A女の悲劇」が存在するのか。その構造的なからくりを、今回はまず見てみよう。

「三高」は、中国では女性の“社会問題”

 日本にもかつて「三高」という言葉があって、「お嫁に行くなら三高男性のところへ」という、女性側の願望としての社会現象があった。「学歴が高く、収入も高く、そして背が高い男性」という条件だったような気がする。戦後復興時代から始まり、電化製品に対する三種の神器が次々に現われたが、自分が嫁ぐ男性に対してまで、愛情とは別に「三」のつく条件を求め、若い女性たちがキャーキャー言っていたような記憶がある。

 ところが、この「三高」、中国では女性にそろっている要素として社会問題となっているのだ。すなわち、「学歴が高く、収入も高く、職場における地位も高くて」、おまけに容姿端麗で、どこから見ても第一級の女たちが、「売れ残って」いるのである。さらに「年齢も高い」ということが、悩ましい問題となっている。

 中国メディアでは、こういった女性群を「剰女(センニュイ)」と呼ぶことがある。

 「剰」というのは日本語にも「剰余」という言葉があるように「残ってしまった」という意味。したがって「剰女」を直訳すれば「売れ残り女」ということになる。

 もちろん「できる女」たちは、こういう侮蔑的な呼称に怒りをあらわにした。なんと言っても彼女たちは「できる女」だ。高いプライドが許すはずがない。

 そこでメディアは、おなじ「センニュイ」という発音の「聖女」という文字を当てるような応急措置をしたが、いずれにしても同じこと。今度は「永久に結婚しない、聖なる女性」ということで、かえってその「皮肉度」は増すばかりなのである。

 そこでいろいろな呼び名がつくようになった。

 本シリーズの初回と一部重複するが、「未婚白領女士」というのが、その一つだ。「領」というのは日本語の「襟」のことで、「白領(バイ・リン)」は「ホワイトカラー」という意味。「女士」は日本語の「女史」に相当。通して訳すなら「未婚のホワイトカラー女性」ということになる。

 しかし、これだと「高年齢」であるという意味が出てこない。そこで「未婚白領女士」の前に「大齢」という単語が加わるようになった。「齢」は年齢のこと。中国では年齢は「大きいか小さいか」という尺度で表現するので「高齢」は「大齢」という。つまり通して書けば、「大齢白領未婚女士」。「年齢が高く、未婚の(つまり、結婚できないでいる)ホワイトカラー女性群」ということになる。

 さてさて、なぜ、こんな現象が起き始めたのだろうか。

文化大革命時代の抑圧、その反動が効いている

 古今東西、男性は誰でも自分より少しレベルが低くて、自分を「まあ!なんて能力の高い、すてきな男性なのだろう」と崇めてくれる女性を求めたがるものである。その傾向は、社会主義国家、中国においても変わらない。いや、変わらないどころか、1949年の建国以来、長きにわたって厳格な思想統一により、ただひたすら中国共産党のために奉仕することを至上目標としてきた中国においては、1978年末から始まった改革開放と、92年から加速化された市場経済の波に押されて、突然解放された人間本来が持つ「欲望」が引き起こす現象は、他の民主主義国家の追随を許さないほど激しくドラスティックだ。

 なにしろ毛沢東時代には、恋愛をすること自体が罪悪で、女性と並んで歩くことさえ「反革命的」として批判の対象となっていた。結婚は革命のためにのみ許可され、しかも結婚相手の選択に関して、行政機関が思想的な審査を行い指導をしていたのだ。

 日本人にはピンと来ないかもしれないので、もう少し言い換えると、好きな異性ができても、その人と結婚していいかどうかは、自分が所属する公的組織に結婚申請書を出し、そこの共産党組織によって「革命度」がどれくらいあるか審査され、「お上」の許可が出ない限り、結婚をすることは許されなかったのである。自由恋愛とか自由結婚は存在しなかったわけだ。このように人間の自然の感性に逆らって不正常に抑圧されてきた分だけ、その束縛がいきなり解き放たれたときの反動は大きいのかもしれない。

コメント17

「中国“A女”の悲劇」のバックナンバー

一覧

「第3回 「小鳥」になれないA女たち」の著者

遠藤 誉

遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

筑波大学名誉教授

1941年、中国長春市生まれ、1953年帰国。理学博士。中国で国務院西部開発弁工室人材開発法規組人材開発顧問、日本では内閣府総合科学技術会議専門委員などを歴任。2児の母、孫2人。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

実は事業継承の覚悟って、そんな大それたものではないんですよ。

高田 明 ジャパネットたかた 創業者