彼女は会うやいなや、いきなり、「漢民族の男とだけは結婚したくないわ!」と宣言した。
大きな切れ長の目に、真っ黒で量が多い髪の毛。それをクレオパトラのように、やや長めのおかっぱで決めている。そういえば、まつ毛の濃さとか、上がり目の目じりの強い線とか、分厚く真っ赤な唇など、クレオパトラを髣髴とさせるものがないでもない。その割りにポロシャツのようなセーターとジーパンというスポーティな姿が、なんとも良い。手首には大粒の瑪瑙(めのう)に糸を通した腕輪と赤い糸を結んでいる。
彼女の名は金香(ジン・シャン)。年は36歳。不動産会社を経営している女傑だ。
「どうしてまた、漢民族の男がいやなの?」
「だって、彼らはいつでも、同時に数名の女の子と付き合っているんですよ。いっつも、どれが良いかを比べてるんです」
「同時に数名と?」
「ええ、みんなそう! 少なくとも私の周りにいる漢民族の男は、残らずそうです。私がつきあっていた男だけが特殊だとは思わないわ。だって、女性の友達同士でおしゃべりをしたりしますが、彼女たちだって、みんなそう言ってるもの」
どうして複数の女性とつきあいたがるの?
「そうなの……。で、年齢層は、どれくらいの男性たちなの? 同年齢の人たち?」
「そうですねぇ、年齢層はまちまち。私たちとほぼ同じ年齢の男性もいれば、少し年上の人たちもいます。40前後になると、結婚している男性の方が多いけれど、結婚してからも、こういう、“女あさり”のような性格は変わらないわ。婚外情をやってるし、結婚する前の男性は複数の女性と付き合ってるし、もう最低よ!」
ここまで腹を立てているからには、よほどイヤな目に遭ったにちがいない。ちなみに、「婚外情」とは不倫のことである。
「それって、漢民族だけなの?」
「ええ、そうよ!少なくとも私の知っている限りでは、みんな漢民族! だから、もう結婚なんてしたくないけど、でも、もし結婚するなら、外国人とでもしようかと思ってるわ」
「外国人でもいいの?」
「ええ、こんな女遊びの激しい、汚らしい男と結婚するくらいなら、外国人のほうが、まだましじゃないですか」
「うーん、なるほど……。でも、結婚紹介所では、今は外国人の結婚相手の斡旋をやってはならないことになってるわよね、たしか」
「ええ、そうなんです。でも、外国人に会うチャンスがないわけではないもの。もし外国人でなければ、中国の少数民族でもいいわ」
「少数民族? 中国国内にいる少数民族ってこと?」
「ええ、そうですよ。たとえば、チベット族とか」
「チベット族……? なんでまた……?」
中国には56の民族があるが、その中の9割ほどは漢民族だから、中国という国家は、「漢民族と55種類の少数民族から成る国」ということができる。この少数民族の中の一つにチベット族があるが、ジン・シャンとの会話は、2008年3月14日に起きた「チベット暴動」のかなり前のことなので、彼女がたまたま例に出した「チベット族」という言葉に関しては、特にその意味での違和感は、彼女と会った当時は持たなかった。
それに中国人のほとんどは漢民族だから、「漢民族の男って最低」と言った彼女の言葉は、言うならば「中国の男って最低」と言ったに等しいと、私には感じられた。
どの<A女>に会っても、中国の適齢期の男性の多くが、同時に複数の女性と付き合っているという不満を聞くので、これは普遍的現象であるのかもしれない。但し、少なくとも私の知人友人たちである男性の中には、そういう人は一人もいないように感じられるので、そういう男性が少なからずいる、ということではあろう。
黒い瞳は、これから話そうとする物語を思い浮かべたためか、その輝きをいっそう増しながら、情熱的に続けた。
「私ね、前にチベット高原に行ったことがあるんです。およそ1カ月間ほどの出張だったんですが……。まだ、20代の終わりのころでした。そのときにね、とても美しい僧侶に巡り会ったんですよ。俗世の欲から解き放たれたような、その静かで、澄み切った表情。それでいて、厳しい訓練に鍛えぬかれた逞しい筋肉。ほら、チベット仏教のお坊さんって、赤い袈裟(けさ)とか黄色のとかを着てるでしょ? あの斜めに肩に掛けている袈裟の間から、浅黒くて逞しい肩の筋肉が見えていたんです。精悍な、男らしい魅力に満ちてもいたし、しかもその人、それはそれは、ものっすごい!ハンサムだった。一目見た瞬間に、私、心を動かされてしまったんです」
チベット男性と北京のA女との恋は…
「まあ、なんてロマンチックな話でしょう。すてきじゃないですか?」
「先生、そのように思ってくださいますか?」
「ええ、もちろんよ。そういうのって、純粋な愛だと思いますよ」
「ありがとう!分かってくれるんですね!」
「もちろん、分かりますとも。で、その後、どうなりました?」
「それが……」
「気持ちを相手に伝えなかったの?」
「ええ……、伝えていません。だって、チベット仏教の僧侶は、還俗さえすれば結婚は許されてるんですけど、でも、北京に来てくれるはずがないし、私が自分の仕事を放棄してチベット高原で過ごすってことも考えられなかったし……」
「そう……。そうよねぇ、現実の生活があるものねぇ。でも、相手は、あなたの気持ちを分かったんじゃないのかしら」
「ええ、きっと、わかったと思います。私の態度とか、目つきとかで……」
「でしょうね。あなたの、その情熱的な目で見つめられたら、誰だって心惹かれるんじゃないんですか?」
「あ、いえ……」
彼女はほのかに頬を赤らめながらも、まるで、そのころの彼の顔を見ているようなまなざしで、遠くを見つめた。それは彼の心の中を推し量ろうとするような目つきでもあった。
「じゃあ、彼が気づいているらしいってことは、あなたにも分かっていたのね」
「ええ、たぶん、そうだと思います。ときどき私の方を気にしてるみたいに、チラッと見てたから……」
「まあ、ロマンチックねぇ。でも、そこまで行きながら、あなたも何も言わず、そして彼の方からも、何も言ってこなかったの?」
「ええ、何も言ってきませんでした。相手も、私と同じ現実問題を考えたからだろうと思います」
「そう、それは残念ね。せめて心と心の通い合いだけでもあれば、多少は救われたかもしれないわね」
「私もそうは思ったのですが、でも、あそこにはパソコンさえなかったし……、だからメール交換というのもできない。携帯電話とかも持っていませんでした。何にもないんです」
【※ チベット仏教の僧侶の婚姻についてのジン・シャンさんの言葉に、誤解を招く部分がございましたので、6月9日時点で補足をいたしました 編集部】
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