「茂木崇の「タイムズスクエアに魅せられて」」

茂木崇の「タイムズスクエアに魅せられて」

2008年6月27日(金)

「ブラック フリースで新境地を切り開く」
老舗ブルックス ブラザーズの哲学(下)

1/2ページ

印刷ページ

(前回記事「価値を認める顧客とのみ取引する」から読む)

 老舗ブルックス ブラザーズが長きにわたって商売を続けることができる理由について、今回はその歴史をひもときながら考えてみよう。

 ブルックス ブラザーズの創業は1818年。食料品雑貨店業のヘンリー・サンズ・ブルックスが、H. & D. H. Brooks & Co.として設立し、サウスストリート・シーポートの近くに1号店を構えた。その後、1850年にはヘンリーの息子たち4人が家業を継ぎブルックス ブラザーズに社名を変更した。

 19世紀後半には、リボンで吊るされた子羊、すなわちゴールデンフリースのロゴが導入された。この子羊はブルゴーニュ地方に繁栄をもたらした毛織物を表すシンボルである。

現在のゴールデンフリースのロゴ

過去のゴールデンフリースのロゴ(現在はブラックフリースコレクションで使用)

過去のゴールデンフリースのロゴ(現在はブラックフリースコレクション
で使用)

現在のゴールデンフリースのロゴ
  
  


 本店が現在のマディソン街の44丁目に移ったのは1915年のこと。その後、この界隈はブルックス ブラザーズを中心にポール・スチュアート、Jプレス、オールデン、アレン・エドモンズ、ジョンストン&マーフィーなども店舗を構えるようになり、アメトラショッピングの中心地になっていった。ただし、ブルックス ブラザーズの店員を経て自らのブランドを立ち上げたラルフ・ローレンは、マディソン街の72丁目に本店を構えている。

 ブルックス家は1946年までブルックス ブラザーズの社長を務めた。その後、オーナーは何度か代わっている。

 中でも、英小売り大手マークス&スペンサーの傘下に入った1988年から2001年にかけて、ブルックス ブラザーズは自らを見失い迷走を続けた。マークス&スペンサーは高級衣料品を扱った経験がなく、スタイルの移り変わりの激しいウィミンズウエアを得意としている。これに対して、ブルックス ブラザーズは高級紳士服を、緩やかにスタイルを変化させながら扱ってきた。ハイテクの駆使、アウトレットへの出店などマークス&スペンサーがブルックス ブラザーズにもたらした功績はあるものの、この両者はそもそもかみ合わない関係だった。

 さらに、この時代に起きたカジュアルフライデーの流行がブルックス ブラザーズにとって逆風になった。スーツやネクタイを商売の基本に据えてきた同社にとって、職場にラフな服装で出勤してよいという潮流は、同社に未来はあるのかと思わせるのに十分なものだった。

 そこで、カジュアルウエアを強化し、店舗を改装し、派手なPR作戦を行ったが、新たな顧客の開拓には苦戦した。また、品質が低下した部分もあり、これまでの上客がブルックス ブラザーズ離れを起こすことにもつながった。

次ページ以降は「日経ビジネスオンライン会員」(無料)の方および「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみお読みいただけます。ご登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。







Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)


Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
この記事を…
内容は…
コメント0件受付中
トラックバック

著者プロフィール

茂木 崇(もぎ・たかし)

茂木 崇

1970年生まれ。東京工芸大学専任講師、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所研究員。専門はマス・コミュニケーション論、アーツ・マネジメント論で、守備範囲はニューヨークの新聞・雑誌・テレビ・広告・音楽・ブロードウェイ。特にタイムズスクエアをこよなく愛し、1年のうち2カ月ほどをニューヨークでの取材と調査にあてている。
 最近の著書に『平成19年版 広告に携わる人の総合講座−広告のすべてがわかる理論とケース・スタディー』(共著、日本経済新聞出版社)がある。


このコラムについて

茂木崇の「タイムズスクエアに魅せられて」

 世界の文明の十字路、米ニューヨーク・タイムズスクエア。この地に魅せられ、研究を重ねる筆者が、米国のメディア、エンターテインメント、ファッション産業などについて、縦横無尽にテーマを選び、最新動向をリポートする。

⇒ 記事一覧

ページトップへ日経ビジネスオンライントップページへ

記事を探す

  • 全文検索
  • コラム名で探す
  • 記事タイトルで探す

日経ビジネスからのご案内