10月1日、新たに独立行政法人国際協力機構(JICA)が発足した。これまでのJICAと、政府系金融機関である国際協力銀行の中の円借款部門(海外経済協力業務)とを統合してできた組織である。1989年からODA(政府開発援助)を含む国際協力の取材を始めた筆者にとっても、長年交流があった2社が統合するという事態には、感慨深いものがある。
この20年間、国際協力と共にあった筆者だが、その間に筆者自身のODAを見る目や求めるものが、大いに変化してきた。前世紀(2000年頃)まで筆者は、国民の血税を原資にODAを行う限りは、現地における日本の存在感を最大化させるべきだ、と主張していた。
実際に、発展途上国の政府機関の廊下を歩けば支援しているドナー国の国旗シールが張られていたり、道路工事をした跡地に石碑が建てられたりしていた。日本の支援に比べれば小規模であるにもかかわらず、こんなにも自己主張をしている、日本はもっと主張すべき…と感じていた。支援国たちは自国の存在感を示そうと、被援助国に無言の圧力をかけているようにさえ見えたからだ。
支援をリードする「人」と「非国益主義」
ところが、筆者の専門分野の1つであるDDR(紛争終了後に兵士に対して行う武装解除、動員解除、社会復帰のプログラム)の多国間協議に日本代表として出席してみると、そこでは自国の国益論を振りかざす余地は皆無の、理論と現場ニーズにどう対応するかを競い合う「言葉の戦争」そのものだった。この「戦争」で勝者たりえるのは、雄弁さと、自国の優位性を潜ませた条件を主張するしたたかさを持つ「人間」であり、「国」ではなかった。国力とは経済力ではないのだと、痛烈に思った。
もう1つの大きな転換点は、中国の台頭である。欧米に駐在するアフリカ諸国の代表団は中国礼賛を繰り返し、「ガバナンス」を尊ぶ先進国の声に耳を傾けようとしない、と嘆く声を耳にするようになった。先生のありがたい説教より、小遣いをくれるヤクザが好まれるのに似ている。
実際に、筆者がアフリカやインドシナ半島、中米の国々に行っても、資源を持つ、持たないにかかわらず、中国人(華僑ではない)がいるのだった。地元の地場産業を壊滅するまでに安価な中国製品を投じ、環境も人権も無視する短期決戦型の資源略奪行為。それに抗って散発する暴動は、当該国政府に抑えられる。時には、スーダンで人民解放軍が防衛しつつ石油を掘らせていると、OECD加盟国(先進国30カ国で構成する経済と政治の枠組みを決める機構)の関係者は警戒心を募らせた。そして、相対取引のような「中国型援助」の対極にある、高い品格を共有し合う必要性を痛切に感じていた。今必要なのは、道徳と自由を尊ぶ民主主義の崇高さを顕示すること、中国とのコントラストを明確にすることなのだ。
「人のふり見て我がふり直せ」とはこのことだった。振り返れば、visibility(目に見える存在感)にこだわった行動を取っていたのは、スペインやポルトガルなど外交能力も経済力も小さな国々だった。彼らは、ドナー国の中でも国益を優先するような立場だったのだ。議論をリードする英国などの先進国や、国際機関のドナーたちと協議を重ねるにつれ、「この援助をしてナンボのリターンがあるか」という国益主義と、「ODA予算を増額するためには国民の理解が必要」という論理の危険さを、思い知るに至ったのである。
そんな筆者の万感をこめて、新JICAの現実と今後を考えていきたい。
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1958年生まれ、法政大学大学院修士課程修了。スウェーデン国防軍国際センター民軍協力コース修了。広告代理店、出版社勤務を経てフリージャーナリストとして独立。1989年より国際協力の取材を始め、現在では世界の紛争地に赴くかたわら、発展途上国の開発・援助政策、コミュニケーション戦略を作成する。拓殖大学国際学部非常勤講師も務める。







