田母神俊雄前航空幕僚長の論文と、彼の一連の言動が発端となって「文民統制(シビリアンコントロール)」という言葉が取り沙汰されている。「前航空幕僚長の論文には2.26事件のような決起の心が潜んでいる」とか「自衛隊がまた暴走するのでは」という不安を口にする識者もいる。
筆者はこれまで、国際協力の現場で各国軍の活動を取材してきた。スウェーデンの国防軍で軍と文民(非軍人)との共同オペレーションを学んだこともある。民間の軍事専門会社の経営者の知己も多い。軍人と軍を律するものが何か、ということをこの十数年追い続け、意思命令系統をつかさどる人とそれに従う軍人との両方を見てきた者としては、今回の問題は捨て置けない気がしている。
前航空幕僚長の論文で示された歴史解釈の是非については、既に多くの識者から論考がなされているので、ここでは「文民統制」の定義と、軍を律することに関する筆者の独自指標を述べてみたい。
文民統制は「意思」と「力」の分離
「文民統制」とは担当する大臣、つまり防衛大臣の意思に全面的に従ってオペレーションも人事も行うという意味である。「文民(シビリアン)」とは、国民のことだ。軍事力の行使を、国民の代表である担当大臣に一任するのである。
なぜ統制せねばならないかというと、「軍」とは「力」そのものだからである。「力」そのものが、その組織を構成する人間だけの企図で行使されることは、はなはだ危険だ。だから、国民の代表が「意思」を担い、軍人が「力」を持つというように、「意思」と「力」とを分離して機能させることで、力の暴走を止め、要所要所でその存在を示す。そして「意思」は、1本の綱で伝達される。つまり防衛大臣の手にのみ握られる。これが「文民統制」の形態だ。
ほとんどのメディアで誤解があるのは、指示を出すのは「政治家」だとしていることだ。すべての政治家の意思に個別に従っていては、オペレーションは進まない。政治家の中でも、「意思」は担当する防衛大臣にある。そして、さらに上層の最高指揮官が総理大臣である。
文民統制の真意は、「政治優先」である。軍人が法律を作成することはないし、オペレーションが法律より優先されることもない。軍人が政治家になったために、太平洋戦争の愚が起きたわけだ。
とはいえ現実には、オペレーションを知らずに法律を作るのは極めて困難で、作成の責任者である大臣は、自衛官から業務の中核をなす知恵を得なければできないだろう。だからこそ法律の草案を作成する文官も、文官の知恵を基盤に君臨する防衛大臣も、法律や予算案の作成の際に、“制服組”(ここでは軍人のこと)の意見を聞いている。
昨年秋に問題が表面化した守屋武昌前事務次官の疑惑では、“背広組”(ここでは文官のこと)たる非軍人が、組織の運営もオペレーションでの武器使用の許可は合法かどうかの判断も行っているという現実が明らかになった。つまり、文官が「文民」であるかのような行動を取っていたわけである。これも、文民統制の曲がった形態であった。
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1958年生まれ、法政大学大学院修士課程修了。スウェーデン国防軍国際センター民軍協力コース修了。広告代理店、出版社勤務を経てフリージャーナリストとして独立。1989年より国際協力の取材を始め、現在では世界の紛争地に赴くかたわら、発展途上国の開発・援助政策、コミュニケーション戦略を作成する。拓殖大学国際学部非常勤講師も務める。







