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底辺高校の卒業生が見た「オバマ」への希望

『アメリカ下層教育現場』から3年、彼らの現実、そして夢

2009年1月21日(水)

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 米国でノンフィクションライターとして働く傍ら、最底辺校に通う子どもたちを教育する現場に立った林壮一氏。過酷な現実と夢を持ち続けようとするたくましさがぶつかり合うアメリカの姿が、「アメリカ下層教育現場」にまとめられている。常に弱者の視点から米国を見つめる林氏に、これまで報じられたことのない、この国のリアルな側面を描いてもらう。その姿は、我々が手をこまぬいていれば、日本の未来の映し絵となるかもしれない。

林 壮一(はやし・そういち)

1969年埼玉県生まれ、東京経済大学卒。大学時代にボクシングジムに所属し、ジュニアライト級でプロテストに合格するも、左肘に怪我を負いプロボクサーを断念。週刊誌の記者を経てノンフィクションライターとなり、1996年渡米。2006年9月、10年の取材を重ね、黒人でワールドチャンピオンとなった5人のボクサーのその後を追った「マイノリティーの拳」(新潮社)を上梓。以来、弱者の目線から見た米国の姿を追い続ける。著書に「メジャーリーグ・オブ・ドリームス」(アスコム)、米国底辺校の教育現場に立った経験を綴り、大きな話題を呼んだ「アメリカ下層教育現場」(光文社新書)がある。最新刊は「ドキュメント 底辺のアメリカ人~オバマは彼らの希望となるか」。


「オレもオバマに投票したよ。同じ黒人だから親しみがあるし、アメリカを変えてくれるように思うんだ」
「どんな風に?」
「仕事を増やし、教育を充実させて、失業者を減らしてくれるんじゃないかって」

 かつての教え子たちと顔を合わせたのは、1月5日のことだ。久しぶりに食事でも奢ってやろう、と中華レストランに招待した。

 1988年6月8日生まれの彼---ティオ・エドガーは、20歳の誕生日に高校を卒業した。現在は通信教育で大学卒業の資格を得ようと努力している。


リノ市での“教え子”、ティオ

「オバマの演説を聞いたんだな」
「うん。実際に会場に足を運んだわけじゃないけれど、ニュースで何度もやっていたからさ」
「投票に行ったのは、今回が初めてかい?」
「うん」
「お前ももう、そんな年になったんだな」
「へへへへ」
「しかし、予定より大分遅い卒業だったなぁ」

 私が茶化すと、ティオは照れたように笑った。

 ネヴァダ州リノ市で最もレベルの低い高校、レインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールで我々は出会った。同校は、一般の公立校を退学になった子供たち、あるいは中学時代の成績が悪すぎて、学区内の公立高校に入学できなかった生徒の受け皿的存在の高校だ。生徒の半分以上が、簡単な手紙の書き方さえ身に付けておらず、日本の九九に当たる1×1から、12×12までの掛け算もできない状態だ。

 1992年、ミネソタ州に全米初のチャーター・スクールが誕生した。「今の公立校は教師1人に対して、生徒数がおよそ40。それでは行き届かない面も多いので1クラスの生徒を20名ほどにして、教える側と教わる側の絆を深めよう」というのが狙いであった。合衆国内には成功例もあるのだろうが、リノ市におけるチャーター・スクールは劣等生の吹き溜まり、場末の高校となっていた。

 2005年8月、レインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールに特別授業として「日本文化」のクラスが設けられた。進学率は1割にも満たず、入学した生徒の半分以上が中途退学してしまうこの高校で、“生徒を惹きつける新しい試み”として、「日本文化」のクラスはスタートした。

 ところが担当した若い女性教師は、あまりに荒んだ生徒たちに耐えられず、数週間で逃げ出してしまう。その代用教員として私にお鉢が回ってきたのだった。

 初日、授業中だというのに黒板を見ようともせずに、MP3プレイヤーで音楽を聴き、UNOで遊びほうける学生たちを前に、私は怒鳴り声を上げた。そして、彼らが何とか集中力を保てる授業を試みながら、「日本文化」の教室を築いていった。

 クラスとしての形ができ、教師としてのやり甲斐を感じ始めた矢先、白人の校長による人種差別で私は同校を去ることになる。苦い経験ではあったが、教壇に大きな魅力を感じた4カ月間だった。


レインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールの生徒たち。サヨナラを告げた2005年11月29日に撮影

 私は彼らの姿に、ダラダラとレベルの低い高校に通っていた若き己をダブらせていた。高校時代の私には、生きるうえでの目標がなかった。〈落ちこぼれ〉の気持ちは、〈元落ちこぼれ〉にしか分からない。だから、敢えて身体を張って飛び込んでみた。

 教師となった1日目、「日本文化のひとつである相撲を教えよう。掛かってこい!」と指名したのがティオである。私と、身長181センチの彼は、おそらく3分以上組み合っていただろう。押し合うなかで授業終了のチャイムが鳴り勝敗は付かなかったが、以来、ティオと私の間には確かな絆が生まれたように思う。

 ティオは学期終了まで、「日本文化」の授業を熱心に受けた。元々、ドラゴンボールや新撰組、X JAPAN、浜崎あゆみ等に興味を持っており、心を開いてからの吸収は速かった。簡単な日本語も操れるようになり、“A”で「日本文化」の単位を修得した。

「先生、オレ、いつか日本に留学したい。東京大学で英語の教師をやりたいよ」

 学期が終わる頃、彼はそんな夢を語るようになっていた。

「そのためには努力だな。まずは、この高校を卒業しなきゃ。そして、きちんと大学に進学して、日本語のクラスを履修するんだ」

 そう励ます傍ら、ティオがレインシャドウ・コミュニティー・チャーター・ハイスクールを無事に卒業できるかという不安もあった。

 父親の顔を知らずに育ったティオは、母親に負担をかけまいといつもアルバイトに追われていた。ファーストフード店、宅配便の仕分け、和食レストラン…。クリスマス・シーズンは疲労困憊といった表情で、ぼんやりとした目を向けてきた。

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