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米海軍と“闘った”弱者たちのヒーロー、逝く

「記念すべき日になったことは無条件で喜ぶよ。でも、まだ一歩に過ぎない」

  • 林 壮一

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2009年2月12日(木)

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【前編のあらすじ】

 200万人ものアメリカ市民が参列した第44代アメリカ合衆国大統領就任式の前日、ひとりのプエルトリカンがこの世を去った。ホセ・トーレス。1956年のメルボルン五輪に星条旗を背負って出場し、ボクシングで銀メダルを獲得。そして1965年3月30日に世界ライトヘビー級タイトルを奪取し、3度の防衛に成功した男だ。

 トーレスは世界王者でありながら、ノーマン・メイラーやピート・ハミルといった文豪から手解を受け、現役時代から「ニューヨーク・ポスト」紙に連載コラムを持った。だが、昨年11月4日の大統領本選挙には投票できなかった。理由は、彼がプエルトリコ島に住むプエルトリカンだからである。

 トーレスは如何なる時も、マイノリティー(社会的弱者)とされるプエルトリカンの視点で原稿を書いた。

「支配される人間の気持ちというのは、味わった者にしか理解できない。我が同胞が故郷を離れ、アメリカ本土に引っ越して来るのは、単純に食べていくためさ。でも、満足に英語も話せないのだから、いい仕事にありつける筈もない。

そんな彼らが倹約して、私を応援しようと試合会場に足を運んでくれる。私の戦いぶりに生きる希望を感じるなんて言ってくれる。だから、私は勝たねばならなかった」

 引退後は、「これからは、文章で同胞を勇気付けてみせる!」と精力的にタイプを打ち続けた。

 ホセ・トーレス氏を第二の父と慕った林壮一氏は、「もし、機会があったら、ヴィエケス島民たちの闘いを見てくれよ」と言われる。「沖縄との共通点があるようにも感じる。ウランで汚れた海の問題だけじゃなく、兵士によって島に住む少女がレイプされるなんてことも頻繁に起こっている。ジャーナリストとして、取材する価値は大いにあると思うよ」--そこで著者は、2000年の初夏、ヴィエケス島へ飛んだ。

前編から読む)

 プエルトリコの首都サンファンから、南東へ98Km。8人乗りの小型プロペラ機に30分揺られて、ヴィエケス島に到着する。

 アメリカ領となってからのプエルトリコは、観光地の一面も覗かせるので近代的な建物が見られるが、ヴィエケス島に降り立つと、見渡す限り原始的な風景が広がっていた。まるで、タイムスリップしたかのような気分になる。

 エメラルドグリーンの海に、小さな白い漁船がポツポツと浮かぶ。周囲を見渡せば、山を覆った緑が眩しい。

 レンタカーを走らせていると、突然馬や牛が車道を塞ぎ、急停止しなければならなかった。路肩には、緑色のバナナを山のように積んだ屋台が幾つも並んでいる。島の中心部には、博物館やスーパーマーケットもあるのだが、とても街とは呼べない。日本風に例えるなら、過疎の村といったところか。

 目を奪われたのは、そんな牧歌的な光景だけではなかった。島民が暮らす住宅が今にも崩れ落ちそうなバラックばかりなのだ。しかも、生活していることを窺わせる家々も、廃墟となった建物の間に点在しているような有様である。カリブ海は毎年のように台風の直撃を受けるが、復旧作業はなされていない。

写真、ヴィエケス島

 5分も車を運転すれば、ヴィエケス島民がいかなる生活を強いられているのか容易に理解できた。島人口9千400人のうち、72パーセントが貧困層に括られる。ハマチ漁業くらいしか職がなく、島民の半数以上は失業中だ。

「3日前にも164名が収監されたわ」

 ヴィエケス島に着いて、まず私は「NAVY OUT キャンペーン」の中心地であるキャンプ・ガルシアを目指した。通りを隔てて海軍基地の正面に建つ民家が簡易事務所となり、その周囲に13のテントが張られている。事務所のベランダには、「FREE VIEQUES!」「NO MORE BOMBS!」などと書かれた垂れ幕が下がっていた。毎日、この場所で午後8時過ぎから、集会が開かれるとのことであった。

 私がヴィエケス島を訪れた時点で、延べ600人あまりが、海軍基地への不法侵入と公務執行妨害で逮捕されていた。全てが抗議デモのメンバーである。キャンプ・ガルシアの入口に佇んでいた25歳の女性、マリナ・モスコーも、先月逮捕されたと語った。

「3日前にも164名が収監されたわ。だから、今日はあまり人がいないのよ」

 モスコーは半年前にプエルトリコ大学を卒業したとのことで、英語が喋れた。ヴィエケス島内で英語が話せる人は稀小であることから、案内役を買って出てくれた。まずは、誤爆によって命を奪われた島民の墓を案内してもらう。

「NAVY OUT!」

 ハンドルを握り、再び馬とぶつかりそうになりながら丘の上の共同墓地に辿り着く。中を歩くと、プエルトリコの国旗を模した造花が目に留まった。それが、被害者であるデビッド・セインズ・ロドリゲスの墓だった。名前の下に「1963年―1999年」と書かれている。献花する人が後を絶たないのだろう。ガーベラ、コスモス、向日葵と色とりどりの花が備えられ、一際目立つ墓だ。

写真、Sanesの墓

「このままNAVYが演習を続ければ、きっとまた彼のような犠牲者が出る。色々考えたんだけど、自分にもできることをやらなきゃ。同胞を見殺しにはできないんだ、って抗議活動に加わることにしたの」

 モスコーはキャンペーンに力を注ぐため、決まっていた就職を蹴ったと言った。普段は、サンファンに住んでいるという。

 共同墓地からは、ヴィエケスのビーチが見渡せた。実際はウランで汚れているのだが、海は透き通り、美しい色に映る。

写真、ビーチ

 その後、海軍宿舎、島民の生活エリアなどを3時間ほど走り、私も集会に出席した。陽が落ちた暗闇のなかで52名の島民たちが車座になる。拡声器を手にした9歳の少女が、「NAVY OUT」と叫ぶと、会が始まった。

 蒸し暑い夜だった。気が付けば、私の履いていたジーンズは汗まみれになっていた。

本、『マイノリティーの拳』

林壮一著、新潮社

 著者、林壮一が1996年の渡米後、10年を費やして書き上げた渾身の一冊。4人の元世界チャンピオンに密着し、彼らの光と闇を描いた。第1章にホセ・トーレスが登場する。
 男たちのもがき、マイノリティーならではの苦しみ、そして著者の人生も詰まっている。ボクシングに興味のないあなたにも人生を考えさせる骨太ノンフィクション。

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