前回の記事で、「中山間農業地域には、これ以上行政コストをかけ続けることは不可能」と書いた。この地域への農水省による直接支払い制度は、行政の効率的運営方針に逆らい、矛盾している。中山間地域でまばらに住む住民がまとまって住み、農地は集団管理する方法はいかがか、と提案した。
読者の皆様から頂いたコメントには、反対のご意見もあった。その気持ちはよく分かる。日本人の心の原風景は、“山河”にあるのだ。その原風景から人を追い出し、藁葺きの家を朽ち果てるままにせよと提案していると、解釈されたのかもしれない。
しかし、すでに「限界集落」の言葉が示すように、日本の中山間農業地域の中でも、2007年8月の時点で消滅が予想されている集落が2643あるのだ。
行政村=United Village of 自然村の悲劇
日本の農村の悲劇は、自然村と行政村がいまだに一致していないことに端を発する。
自然村は「集落」と言い換えることができる。自然に人々が集まり、集団を形成してできたものである。人々の心のよりどころは、この自然村にこそある。
しかし行政の単位は、行政の都合によって集落をいくつか寄せ集めた「United Village of 自然村」だ。その「United Village of 自然村」の領域は、明治、昭和、平成の大合併と相次いだ結果、非常に拡大した。しかし相変わらず、人々のまとまりは集落、つまり自然村にあり、大合併後の市の予算も、集落単位で落とされる。集落が集落としてそのままある限り、その事態は変わらない。
すると、集落単位での予算の奪い合いが始まる。各集落がそれぞれに、「道路が欲しい」「水路が欲しい」「バス路線を維持してほしい」「デイケアセンターを開設してほしい」と自治体に陳情の列を成す。それが、平成の今でも延々と続いているのが現状である。
数だけは、「人口13万人都市の誕生」などと言っても、実際は集落を積み上げただけのこと。人々の意識も予算配分も、集落単位でまとまっていることに変わりはない。
それでも子供の数が多く税収の自然増があった時代は、裨益(ひえき)率が高かったので、集落単位で同じようなインフラを整え、教育設備を整えてきた。ところが、ここ20年は人口減が続き、地方交付金も減少、自然な国家税収減と、1人当たりの行政コストは上がる一方だ。継承者がいない地域では、砂に水をまくようなむなしさがあることだろう。
特に辺鄙な土地にある集落には、同じ市内(行政村)でも訪れたことがない人が随分いるかもしれない。
最大の問題は、集落の住民の要求を叶えているうちに、それまで堅固にあった集落の機能が落ち始めたことである。
ここでいう集落の機能とは、下記である。
(1)資源管理機能
農林地や地域固有の景観、文化などの地域資源を維持管理する機能
(2)生産補完機能
農林漁業など、地域の生産活動を地域住民が相補扶助によって補完し合いながら、生産活動の維持と向上を図る機能。草刈り、道普請など
(3)生活扶助機能
社会的統一性を持った共同体の中の生活、コミュニティーが円滑に行われるために、地域住民同士が相互に扶助し合いながら生活の維持と向上を図る機能。冠婚葬祭など
国土交通省は「これら3つは相互に関連しているから、いずれかの機能が低下しても集落全体の維持が困難になる。そして集落の衰退へと繋がってしまうと考えられる」と平成12年度の調査書で述べている。
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1958年生まれ、法政大学大学院修士課程修了。スウェーデン国防軍国際センター民軍協力コース修了。広告代理店、出版社勤務を経てフリージャーナリストとして独立。1989年より国際協力の取材を始め、現在では世界の紛争地に赴くかたわら、発展途上国の開発・援助政策、コミュニケーション戦略を作成する。拓殖大学国際学部非常勤講師も務める。







